ぱっちゃん
投稿者: t_aa_t 投稿日時: 2004/07/29 03:03 投稿番号: [224378 / 280993]
ぱっちゃん、それはちょっとちがうな。
俺は、親や教師から縛られたことなどない。たまたま怒られはしたけど、
俺の人格を否定されるようなことはなかった。
だからといって、もちろん、従順な人間だったことはない。自分の好きに
してきたけど、それを束縛されたり、管理されたりはしなかった。
「支配」と「自由」を対立した軸のように考えるのはだめだと思う。
尾崎豊が「行儀良くまじめなんてできやしなかった」と「卒業」で歌って
るが、それがまさにその例だ。
「行儀よくまじめ」な連中が、「管理され従順な」連中で、そうはなり
たくない連中は「反抗し、自由を求める」という図式そのものが間違っている。
俺は、「行儀は悪いけど、まじめ」なのだ。管理されたり、縛られたりは
しない。だからといって、反抗したりするわけではない・・・なぜなら、
大人は俺のまじめさを良く理解してくれるからだ。
そして、大人をそこまで納得できるようなまじめさを持った人間であって
こそ、自由を主張できるんだな。
ガキの放縦を許容することと、個性の尊重は異なるものだから。
こう考えると、「支配と自由」という直線的な図式ではなく、4マスの構図
が生まれるだろう。
行儀よく、まじめ
行儀は悪いけど、まじめ
行儀よく、まじめじゃない
行儀悪く、まじめじゃない
もちろん、この図で「行儀よく、まじめ」なのはまだ可愛い。だが、問題なのは
「行儀悪く、まじめじゃない」連中ではなく、「行儀よく、まじめじゃない」連中
なのだが・・・
これは メッセージ 224362 (pattsy_mint_1010t さん)への返信です.
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