>日の丸、君が代(1)
投稿者: brain_valley02 投稿日時: 2004/07/22 10:06 投稿番号: [220977 / 280993]
>国旗、国歌が必要か?・・・と言われれば、
国境が存在する以上、絶対に必要だ。
国境とそれらは,直接的な関係はないものとわたしは認識しています。
論ずるならば,経線・緯線のような国境ではなくむしろ国家との関わりでしょう。
近代国家によって,近代的国際社会が形成されることになり,国歌は,国旗と同様に,大別して2つの重要な機能を持つことになったのです。
第1は,国家間の関係における対外的な機能
第2は,国民に対する対内的な機能です。
重要では有るが,決して必須ではないことは自明です。
1.国歌の対外的機能 について
対外的な機能としては,まず,対等な国家関係における国際礼譲での役割です。
例えば,外国の元首や軍艦などの来訪に対して敬意を表するために,慣習的な儀礼として国歌が演奏されあるいは斉唱されます。
さらに,国家を単位とするスポーツ交流や文化交流などの場面では,国家や公共団体が関わる場合だけでなく,民間だけの主催であっても,参加者およびその所属国に対する敬意を表し,またその栄誉を称えるために演奏される場合が多いのです。
このような場合には,臨席者,参加者および観覧者などの起立,脱帽などが儀礼的所作として一般に要請されていますが,現実的困難性から国歌は国旗ほど多用されていないのが現実です。
また,支配服従関係においては,支配国が被支配国の国歌の演奏ないし斉唱を抑圧し禁止する場合があります。
これは,消極的場面ではあるものの,国歌の演奏・斉唱の禁止が,国家間の支配服従関係を象徴しているものといえます。
2.国歌の対内的機能について
対内的な機能としては,積極的機能と強制的機能に別けて捉えられるています。
国民自らの自発的な意思として国歌を演奏・斉唱することは,自己が国民であるというアイデンティティの確認であり,国民的結束を確認し喜びあうという積極的機能を持つものなのです。
例を挙げれば,国家元首などが臨席する国内行事で,国民としての一体感を醸成するために歌われることなど。
それに対し,政府と国民との間に対立・緊張関係がある場合,つまり専制国家や全体国家だけでなく,多民族国家または複数の国語を有する多言語国家においては,国歌が特定の価値観と連動しているか,または関連せざるをえない場合には,その演奏・斉唱は,一定の国民には服従を強いる性質を伴う強制的機能を持つことになります。
このような場合の自己決定的な国歌の演奏・斉唱の拒否は,権力者による弾圧にも繋がる危険性を持つことは言うまでもないことです。
>では、どんな国旗国歌が良いのか?・・・と考えた場合、
国境の存在をハッキリ表せるモノこそ、最も相応しいと言える。
国境の存在をハッキリ表せるモノとは、世界に「認知されたモノ」のことである。
そして、世界に認知されたモノとは、日の丸君が代以外には存在しない。
「君が代」は,古今和歌集の「題しらず読人しらず」の賀歌「わが君は 千代に八千代に 細れ石の いはほとなりて 苔のむすまで」に,その淵源が求められるとされているのは多くの人がご存知のとおり。
「わが君」の使われ方は,天皇に対してのみならず,高貴な人および年長者にも用いられていたものです。
その後,この歌が知られるとともに,わが君が「君が代」とされて広まったことは周知の事実です。
少々詳しく解説すれば,わが国が明治に入り,近代国家としての体をなす必要に迫られ,1869年イギリス公使館護衛歩兵隊軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンから,国歌に関する問い合わせがあり,それに対し大山巌が古歌の「君が代」を提示したことに始まります。
海軍軍楽隊雇教師となったフェントンがそれに作曲をしましたが,その後海軍省から楽譜を雅楽の音節へ改訂するよう建議がなされたことも有名な話です。
フェントンの後任として海軍省雇音楽教師となったドイツ人フランツ・エッケルトは,宮内省雅楽部と共にその選定に関わり,編曲を行いついに「国歌」として1880年11月3日に天皇の前で奏楽されたというのが定説になっています。
それに対し,文部省では異なった動きがみられたものの,結局小学校において祝日大祭日の儀式における唱歌として「君が代」が告示された経緯があります。
このようにして,明治20年代中頃から「君が代」が海軍,宮内省および文部省などの活動を通じて「国歌」となり定着していったものです。
長文につき続きは(2)とし分割させていただきます。
国境が存在する以上、絶対に必要だ。
国境とそれらは,直接的な関係はないものとわたしは認識しています。
論ずるならば,経線・緯線のような国境ではなくむしろ国家との関わりでしょう。
近代国家によって,近代的国際社会が形成されることになり,国歌は,国旗と同様に,大別して2つの重要な機能を持つことになったのです。
第1は,国家間の関係における対外的な機能
第2は,国民に対する対内的な機能です。
重要では有るが,決して必須ではないことは自明です。
1.国歌の対外的機能 について
対外的な機能としては,まず,対等な国家関係における国際礼譲での役割です。
例えば,外国の元首や軍艦などの来訪に対して敬意を表するために,慣習的な儀礼として国歌が演奏されあるいは斉唱されます。
さらに,国家を単位とするスポーツ交流や文化交流などの場面では,国家や公共団体が関わる場合だけでなく,民間だけの主催であっても,参加者およびその所属国に対する敬意を表し,またその栄誉を称えるために演奏される場合が多いのです。
このような場合には,臨席者,参加者および観覧者などの起立,脱帽などが儀礼的所作として一般に要請されていますが,現実的困難性から国歌は国旗ほど多用されていないのが現実です。
また,支配服従関係においては,支配国が被支配国の国歌の演奏ないし斉唱を抑圧し禁止する場合があります。
これは,消極的場面ではあるものの,国歌の演奏・斉唱の禁止が,国家間の支配服従関係を象徴しているものといえます。
2.国歌の対内的機能について
対内的な機能としては,積極的機能と強制的機能に別けて捉えられるています。
国民自らの自発的な意思として国歌を演奏・斉唱することは,自己が国民であるというアイデンティティの確認であり,国民的結束を確認し喜びあうという積極的機能を持つものなのです。
例を挙げれば,国家元首などが臨席する国内行事で,国民としての一体感を醸成するために歌われることなど。
それに対し,政府と国民との間に対立・緊張関係がある場合,つまり専制国家や全体国家だけでなく,多民族国家または複数の国語を有する多言語国家においては,国歌が特定の価値観と連動しているか,または関連せざるをえない場合には,その演奏・斉唱は,一定の国民には服従を強いる性質を伴う強制的機能を持つことになります。
このような場合の自己決定的な国歌の演奏・斉唱の拒否は,権力者による弾圧にも繋がる危険性を持つことは言うまでもないことです。
>では、どんな国旗国歌が良いのか?・・・と考えた場合、
国境の存在をハッキリ表せるモノこそ、最も相応しいと言える。
国境の存在をハッキリ表せるモノとは、世界に「認知されたモノ」のことである。
そして、世界に認知されたモノとは、日の丸君が代以外には存在しない。
「君が代」は,古今和歌集の「題しらず読人しらず」の賀歌「わが君は 千代に八千代に 細れ石の いはほとなりて 苔のむすまで」に,その淵源が求められるとされているのは多くの人がご存知のとおり。
「わが君」の使われ方は,天皇に対してのみならず,高貴な人および年長者にも用いられていたものです。
その後,この歌が知られるとともに,わが君が「君が代」とされて広まったことは周知の事実です。
少々詳しく解説すれば,わが国が明治に入り,近代国家としての体をなす必要に迫られ,1869年イギリス公使館護衛歩兵隊軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンから,国歌に関する問い合わせがあり,それに対し大山巌が古歌の「君が代」を提示したことに始まります。
海軍軍楽隊雇教師となったフェントンがそれに作曲をしましたが,その後海軍省から楽譜を雅楽の音節へ改訂するよう建議がなされたことも有名な話です。
フェントンの後任として海軍省雇音楽教師となったドイツ人フランツ・エッケルトは,宮内省雅楽部と共にその選定に関わり,編曲を行いついに「国歌」として1880年11月3日に天皇の前で奏楽されたというのが定説になっています。
それに対し,文部省では異なった動きがみられたものの,結局小学校において祝日大祭日の儀式における唱歌として「君が代」が告示された経緯があります。
このようにして,明治20年代中頃から「君が代」が海軍,宮内省および文部省などの活動を通じて「国歌」となり定着していったものです。
長文につき続きは(2)とし分割させていただきます。
これは メッセージ 220964 (tenshinokiseki さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afa4gffckdcbfm94bab_1/220977.html