>硫黄島でも
投稿者: wintrip_02 投稿日時: 2004/06/25 16:04 投稿番号: [206923 / 280993]
横レスですが、
米軍は十全の準備をして、火薬を惜しまず、攻撃してきたので、多かれ少なかれ、住民の被害は避けられず、被害が少なくてすんだか-あまり楽観的になれないと思います。
ところで参謀長の長勇なる、人物は南京で、虐殺の要因を作ったという↓住民にとってはけっして歓迎できない軍人でした。
http://www.come.or.jp/hshy/j95/11si1.html朝香宮が指揮した“上海派遣軍”の情報主任参謀を勤めた長勇中佐( 後第74連隊長大佐に昇進した)は、自分が勝手に軍司令官の名義を使い、俘虜の 虐殺命令を下したと、田中にほらを吹きながらこう語った:
「杭州湾に上陸した柳川兵団の進軍の速度は驚くほど速く、約30万人の中国人 兵士が退路を切断され、彼らは武器を放棄し、我々に降伏した。これ程の捕虜を 処理するには、食糧が最大な問題となる。私は即時に自分の判断で各所属部隊に 次の命令を発した。「捕虜を全部殺せ」と。私が軍司令官の名義で無線電信でこ の命令を伝達した。命令文はその場で焼却した。この命令がもとで大虐殺が始ま った。」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~taro/nanking.3.html上海から南京へ疾風の如く殺到した戰闘師團には
もとより捕虜の収容能力はなく
追撃戰に参戦した各師團は「捕虜ハ作ラズ」が暗黙の諒解であったようだが、「片端ヨリ之ヲ片付ケ」たかどうかが指揮官によって異なるところ。
部隊によっては「捕虜を作るな」の師團命令に処置しかねて上級司令部に問い合わせて來たというが
その都度
軍司令部情報參謀
長勇中佐が「やっちまえ!」と応えてゐたと謂う。
さすがに周囲が見かねて松井軍司令官から注意されると「わかりました。」とおとなしく引き下がるものの
同じ問い合わせがくると
またも「やっちまえ!」と応じてゐたという。
しかし、そういう軍司令官にも捕虜の取り扱いについてのはっきりした考えはなかったようで、後に參謀副長の武藤大佐は東京での極東国際軍事裁判法廷で「捕虜収容所はありませんでした」と証言してゐる。
これは メッセージ 206912 (shippou_kohaku さん)への返信です.
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