相変わらず、大騒ぎをなさって…
投稿者: used_nad_uoj 投稿日時: 2004/06/07 22:22 投稿番号: [196679 / 280993]
ごきげんよう。
カードク氏が戻ってこられたようなので、今回のことについて、私も、ひとつ書かせてもらうわ。
日本人は、何事につけて根に持たない。それは長所であるが、忘れっぽいのも程度問題だ。
カードク氏があの発言をする以前、イラク自衛隊派遣を論じる時に、今ほど熱を帯びたテロ犠牲者に対する同情論があっただろうか?
貿易センタービルの、あの想像を絶する地獄図を風化させたように、テロ撲滅に立ち向かうアメリカ批判一辺倒の空気だった。イラクの人が可哀想、自衛隊撤退だ、理由はなんであれ戦争を仕掛けたアメリカが悪い…と。
皮肉にも、カードク氏の発言は、あの地獄図を見て悲惨だ気の毒だと感じた、あの時の衝撃を呼び覚まさせてくれた。そのための貴重な一石を投じてくれる結果になった。
あの衝撃は風化して、今眼前に展開しているイラクの人達の悲劇の方へ目が移っていたことは、間違いない。
日本人の忘れっぽさは、何かと好都合ではあるが、その程度において異常と言うべきだ。
遠く離れたイラクでもアメリカでもない、この日本の国土で二十万を超える同胞が、無差別に、瞬時に、歴史上前例のない残酷な手段で、一瞬にして殲滅された事実を、とうの昔に風化させてしまっている。
そんな人達が声高に、アメリカ人の不幸を知ったら直ちに同情しろと、そうしなければ人道的に許せない、アメリカ人に向かって、「ざまあみろとは、とんでもないことだ」と言っている姿を、禍々しく感じてしまう。
我々は、きれい事を並べるだけで、どれだけ人の痛みを我が物として感じてきただろうか。 広島、長崎のあの日、あの時間に毎年手を合わせてきたか。それ以上の何をしてあげたか?アメリカに向かってとことん謝罪を求めつづけ、明確な謝罪をさせたただろうか。
すっかり忘れてバブルに踊り、経済大国の奢りを享受し、浮かれて過ごしてきたのではなかったか。金儲けになれば、相手が謝罪などしていなくても、尻尾を振って媚びてきたのではなかったか? これは、自戒をこめて私自身にも問うているのだ。
せめて、そのことに「怨嗟」を持ちつづけてきた人が、恨みを口にした時くらい、聞く耳くらいもったらどうだろう。問答無用、あんたは最低は、ないのではないか…。
私は、カードクさんの擁護をする立場にも、又その義理もない。しかし、彼は熱い思いで生きてきた人なんだという、彼自身に対する勝手な思い入れをもっている。
9.11米中枢同時テロの時に、もし彼がアメリカに滞在していたらと考えてみた。(そうだったと主張する人が何人もいたから。それは、本質的に何にも関係のないことなのに)
彼は、あの悲惨な事件を知った途端、「ざまあ見ろ!」「思い知ったか、これでも食らえ!」と叫んだかも知れない。
しかし、その直後、彼はどういう行動を取っただろう。
「何てざまだ! それはそれとして、こりゃうっちゃっておけねえ!」
そう言うなり、彼は仕事を放り出して現場へ駆けつけ、救助活動の手伝いを黙々と始めていたのではないだろうか。
これは、私の勝手な想像ではない。(嘗て、彼がここへ書き込んだことの真偽の穿鑿はおいて)彼は、一度ならず、我が身の危険を顧みず、溺れかけた人の救助をしているのだ。
悲惨な現場を目の当たりにして、「気の毒だ!」「同情を禁じ得ない!」と遠くで叫くだけで何もしない人ではないと見る。
それが、私の見立て違いだとしても一向に構わない。少なくとも、そう言う人だと思える可能性を感じさせてくれていた。従って、私には、とても彼を糾弾することはできなかったのだ。
狂牛病は、現代版タリバンか!
カードク氏が戻ってこられたようなので、今回のことについて、私も、ひとつ書かせてもらうわ。
日本人は、何事につけて根に持たない。それは長所であるが、忘れっぽいのも程度問題だ。
カードク氏があの発言をする以前、イラク自衛隊派遣を論じる時に、今ほど熱を帯びたテロ犠牲者に対する同情論があっただろうか?
貿易センタービルの、あの想像を絶する地獄図を風化させたように、テロ撲滅に立ち向かうアメリカ批判一辺倒の空気だった。イラクの人が可哀想、自衛隊撤退だ、理由はなんであれ戦争を仕掛けたアメリカが悪い…と。
皮肉にも、カードク氏の発言は、あの地獄図を見て悲惨だ気の毒だと感じた、あの時の衝撃を呼び覚まさせてくれた。そのための貴重な一石を投じてくれる結果になった。
あの衝撃は風化して、今眼前に展開しているイラクの人達の悲劇の方へ目が移っていたことは、間違いない。
日本人の忘れっぽさは、何かと好都合ではあるが、その程度において異常と言うべきだ。
遠く離れたイラクでもアメリカでもない、この日本の国土で二十万を超える同胞が、無差別に、瞬時に、歴史上前例のない残酷な手段で、一瞬にして殲滅された事実を、とうの昔に風化させてしまっている。
そんな人達が声高に、アメリカ人の不幸を知ったら直ちに同情しろと、そうしなければ人道的に許せない、アメリカ人に向かって、「ざまあみろとは、とんでもないことだ」と言っている姿を、禍々しく感じてしまう。
我々は、きれい事を並べるだけで、どれだけ人の痛みを我が物として感じてきただろうか。 広島、長崎のあの日、あの時間に毎年手を合わせてきたか。それ以上の何をしてあげたか?アメリカに向かってとことん謝罪を求めつづけ、明確な謝罪をさせたただろうか。
すっかり忘れてバブルに踊り、経済大国の奢りを享受し、浮かれて過ごしてきたのではなかったか。金儲けになれば、相手が謝罪などしていなくても、尻尾を振って媚びてきたのではなかったか? これは、自戒をこめて私自身にも問うているのだ。
せめて、そのことに「怨嗟」を持ちつづけてきた人が、恨みを口にした時くらい、聞く耳くらいもったらどうだろう。問答無用、あんたは最低は、ないのではないか…。
私は、カードクさんの擁護をする立場にも、又その義理もない。しかし、彼は熱い思いで生きてきた人なんだという、彼自身に対する勝手な思い入れをもっている。
9.11米中枢同時テロの時に、もし彼がアメリカに滞在していたらと考えてみた。(そうだったと主張する人が何人もいたから。それは、本質的に何にも関係のないことなのに)
彼は、あの悲惨な事件を知った途端、「ざまあ見ろ!」「思い知ったか、これでも食らえ!」と叫んだかも知れない。
しかし、その直後、彼はどういう行動を取っただろう。
「何てざまだ! それはそれとして、こりゃうっちゃっておけねえ!」
そう言うなり、彼は仕事を放り出して現場へ駆けつけ、救助活動の手伝いを黙々と始めていたのではないだろうか。
これは、私の勝手な想像ではない。(嘗て、彼がここへ書き込んだことの真偽の穿鑿はおいて)彼は、一度ならず、我が身の危険を顧みず、溺れかけた人の救助をしているのだ。
悲惨な現場を目の当たりにして、「気の毒だ!」「同情を禁じ得ない!」と遠くで叫くだけで何もしない人ではないと見る。
それが、私の見立て違いだとしても一向に構わない。少なくとも、そう言う人だと思える可能性を感じさせてくれていた。従って、私には、とても彼を糾弾することはできなかったのだ。
狂牛病は、現代版タリバンか!
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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