知ることと、知りたくないこと
投稿者: takimota2002 投稿日時: 2004/06/04 20:00 投稿番号: [194562 / 280993]
>>1995年の地下鉄サリンでも
>>0.5−1%は「やったぁ」
>>と感じただろうと思いますけれどね。
>意味判りませんし、判りたくもない
>のですけど・・・
>居るのですか?本心からそう思う
>人達が?
本心かどうかと言うと難しいのでしょうけれど、瞬間、そう思った人はそれなりにいるだろうなぁと思いますよ。
パソコンなど、経済的に持てようもなく「霞ヶ関」への恨みも深い方、また持てても誰も相手にしてくれようのなく酷いことを書き込むしかない、以前「立候補?」と追及した十数人とか、そんな人の中には、「やったぁ」なぞと思う人もいるでしょう。
事件発覚後に、オウムに入った人が数百人もいるのですから。大分辞めたけれど、それなり頭が良くってまた経済的にもいいところにいるのに、入信・出家したままの若者も何人もいます。
人間って、破壊願望と言うか、ありますもの。そのあたりは少年事件でも時に感じるものです。ああ、あまりに多く扱う中年男女の不倫事件なども、たんなる愛欲とか焦りではなくて、破滅願望だなぁと感じることも少なくないですね。
夫婦間の虐待事件とか、虐待されているのに逃げない不思議な事態とか、見ると、人間っておそろしい、不可思議なものと思いますが。
それを「聞きたくない」みたいなのでは、なんか道徳の時間みたいでつまらないですね。
私はそんなタナトスも「煩悩はしょもないなぁ」として、一生闘うしかないと思ってもらいたく付き合っていくべきだろうと思いますが。
我が内なるタナトスもみつつ、です。少なくとも、折角、自分の中のタナトス部分という、まあ本音の一部をいっている人に対して、
「べき論」とか「聞きたくない」「謝罪せよ」と、言うようでは、議論に深みがなくなると。
まして、アメリカ帝国主義の象徴だったということ、その重さはある9.11ですから。
最も危ないのは、そんな本音を言うこともなく、突如として事件を起す少年、中年ですから。
どもっ。
これは メッセージ 194552 (realistically_own さん)への返信です.
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