>>>>>ああ、またイスラムへの無理解
投稿者: jounojouma 投稿日時: 2004/05/26 20:03 投稿番号: [188215 / 280993]
>圧力をかけるのと戦争は違うと思うけど
これは、現代で言うところのテロ行為みたいなものです。いや、それ以上かな。
また、僧兵を傭兵のような形で、小規模な戦闘に参加させて、大規模な戦闘に拡大させてもいました。
ちなみに、平清盛の時代、奈良県一帯は、朝廷や清盛の権力も及ばぬ、治外法権地帯と貸していましたから。
僧兵を使って、朝廷や貴族の所領を掠め取り、興福寺を中心とした、一大勢力になっていましたから。
天皇の皇位継承問題で、自分たちに不都合や天皇が出そうになると、即、暴れてましたから。
>仏教の教えの中に、戦争の「種」になるようなものでもあるのですか
いや、仏教に限らず、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教等全ての宗教にその種は無いと思います(いや、ユダヤ教はシオニズムがあるから別か)。
要は、人間そのものが、腐りきっていると言うことですね。
某書物で、一向一揆と戦う信長の理由に、こうあります。
「戦をさせる者は、神ではなく、人でなければならない。
神ならば、例え、それが理不尽な戦でも、信者は受け入れざるを得ない。
『神が、間違いなど、犯すはずがない。』と、人は考えるからな。
また、その理不尽な戦の中に、何かしら、深い神の真意があると思うからな。だから、決して、人は、その戦を思い留まることはできない。
それ故に、神の名をを語る戦には、容赦せん。
人による戦なれば、戦死した者の遺族は、この信長を恨むことができよう。しかし、神による戦なれば、戦死した者の遺族は、神を恨むことができまい。
だから、わしは、神の名を語り、信者に戦をさせ、自分たちは安全なところでぬくぬくしておる坊主どもが許せんのだ。」
とね。
ちなみに、信長と石山本願寺との最終決戦。信長は兵士を鼓舞する為に自ら危険な最前線に立ち、戦の指揮をしましたが、石山本願寺の座主顕如はじめ高僧達は、我が身可愛さに、決して、前線に出ることはありませんでした。
うす汚ないものですね。神の名を語る連中って。
ちなみに、上杉謙信も、一向宗と戦っています。加賀の地で。
彼は、一向宗門徒達を、平和と秩序を乱す極悪非道の連中と、見なしていたそうです。
これは メッセージ 188203 (sironeko_kuroneko_ti_ku さん)への返信です.
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