イラクで日本人拘束

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高遠語録05/20(改)

投稿者: billionaire_of_japan 投稿日時: 2004/05/20 19:29 投稿番号: [183157 / 280993]
たまに、甥と庭に出ていた以外は家からは出ていません。

今でもパニック状態になることがありまして、安定剤を使用している状態です。
イラクや解放後のショックな出来事などの嫌な夢をよく見ます。
毎日イラクのことを考えていました。

拘束時、ガソリンスタンドにいたイラク人数十人に車を囲まれ、「日本人はよくない。死ね」というサインを何度もされ、その向こうから対戦車ロケット砲を抱えた人が走って来るのを見て、「もう駄目だ」と思いました。

拘束された4月7日と8日は、何か彼らの気に障ることが少しでもあれば殺されるのではないかという恐怖が常にありました。

日本のNGOの協力を得て何度も医薬品などを運んだ話しをしました。英語の判る人は説明を理解し手くれました。英語の判らない他の人たちは、「英語を話すこいつはやっぱりスパイだ」と周りで怒っていました。

数人の人たちが物凄い剣幕で部屋に入ってきて、私の前に在ったタバコを私に投げつけたりして、酷く怒った様子でした。
ビデオ撮影が開始され、英語を話す人が私に「泣いてくれ」と言いましたが、訳がわからないでいると、武装した人たちが暴れだし、もう駄目だと恐怖心で一杯でした。

開放前に移動したところでも、やはり銃を持った人が同じ部屋にいました。

開放直前、武力以外の解決方法について話していると、一人が膝を抱えて私の方を泣きそうな顔で見ながら、「どうしたら君と友達になれるだろう」と言ってきました。彼の前には銃がありましたが、そのときの彼は、余りにもひ弱なただの人間で、私達を拘束したムジャヒリンのメンバーとは思えなかったし、彼らも愛する家族を殺されていて、彼らの悲痛な叫びを届けさせるには、この方法しか見つけられなかったのだろうと感じた。

目隠しを外すと、そこにはかカラシニコフをもった人たちが部屋の中にいたりして、常に見張りがいました。
トイレが無い状況もありましたので、水を飲むのを止めたり、食べ物を食べないようにしていました。

(再びイラクへ行く考えは)今はまだわかりません。

イラク戦争後から半年間イラクで生活をした経験から、爆破テロがあり、それに巻き込まれて死ぬ可能性があることは、家族には常に話していました。

日本にいるとき以上に、いつ死ぬか判らないという覚悟のもと、強く考えて行動していました。さまざまな意見があるのは自然なことだと思います。自衛隊を撤退させなかったのは当然だと思います。

一年たって親米だったシーア派でさえ反米になってしまい、あれだけ親日だったイラク人が昨年末あたりから、あれだけ親日だったイラク人が反日感情を持つようになったことが何よりも悲しいと思います。

しかし、病気や怪我などの武器による戦争被害に苦しむイラクの人たちのことを考えると、今こそ武器を持たないNGOを中心とする人道支援が必要だと強く感じております。

イラク人)絶対にあなた達(を見捨てません。そう伝えたいです。
必要なことは戦争を恨むことより、人を愛する心だと思います。

(順不同。局により違いすぎ。言い訳。)
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