★儒教とは★
投稿者: beijingtune 投稿日時: 2004/05/06 00:55 投稿番号: [167184 / 280993]
儒家には三皇・五帝・三王此等を天尊と号す、
諸臣の頭目万民の橋梁なり。
三皇已前は父をしらず人皆禽獣に同ず、
五帝已後は父母を弁て孝をいたす。
所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ、
沛公は帝となつて大公を拝す。
武王は西伯を木像に造り、
丁蘭は母の形をきざめり。
此等は孝の手本なり。
比干は殷の世のほろぶべきを見て、
しゐて帝をいさめ頭をはねらる。
公胤といゐし者は懿公の肝をとつて、
我が腹をさき肝を入て死しぬ。
此等は忠の手本なり。
尹寿は尭王の師、
務成は舜王の師、
大公望は文王の師、
老子は孔子の師なり、
此等を四聖とがうす。
天尊頭をかたぶけ万民掌をあわす。
此等の聖人に三墳五典三史等の三千余巻の書あり。
其の所詮は三玄をいでず。
三玄とは一には有の玄周公等此れを立つ、
二には無の玄老子等、
三には亦有亦無等荘子が玄これなり。
玄とは黒なり、
父母未生已前をたづぬれば、
或は元気よりして生じ、
或は貴賎苦楽是非得失等は皆自然等云云。
かくのごとく巧に立つといえども、
いまだ過去未来を一分もしらず、
玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という、
但現在計りしれるににたり。
現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず、
此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう。
此等の賢聖の人人は聖人なりといえども、
過去をしらざること凡夫の背を見ず、
未来をかがみざること盲人の前をみざるがごとし。
但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば、
傍輩もうやまい名も国にきこえ、
賢王もこれを召して或は臣となし、
或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう。
所謂周の武王には五老きたりつかえ、
後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり。
而りといえども過去未来をしらざれば、
父母主君師匠の後世をもたすけず、
不知恩の者なりまことの賢聖にあらず。
『開目抄』
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