一般論として
投稿者: anasazi_mesa 投稿日時: 2004/05/05 02:45 投稿番号: [165345 / 280993]
一般論として、誘拐事件が起こった場合、それがどのような事件であれ、狂言の可能性を疑うのは常識だと思います。可能性の濃い、薄いの差はあるでしょうが、可能性がゼロだということは出来ません。狂言の可能性がゼロになるのは、犯人と犯人の動機が確定された時です。それまでは狂言の可能性は決してゼロにはなりません。
私も、事件の一報を聞いたとき、
「狂言の可能性は・・・・・(あれ?犯人と人質の思想が似てるな!)・・・・これは濃いなあ」
というのが第一印象でした。
犯人と犯人の動機が確定される以前に「狂言の可能性はゼロ」と言い切れる人はいないと思います。
例えは悪いかもしれませんが、推理小説で誘拐事件が出てきた場合、狂言の可能性を第一に疑うくらいでないと、正常な読者とはいえないと思います。結末で、「実は人質の仕組んだ芝居でした。」となって、「えー、そんなこと考えても見なかったよー」なんてのは単なるバカです。
さて、ここまで書いて思うのは、やはり今回の人質たちの不可解さです。
なぜ彼らは積極的に犯人が誰であったかを追及しないのでしょうか?
「彼らは悪い人ではないから、追及しないでほしい」という態度をとるのはなぜなんでしょうか?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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