非武装ボランティアを『偉い』と言う方々へ
投稿者: bambooriversnowbad 投稿日時: 2004/05/01 02:39 投稿番号: [152708 / 280993]
自分はイラクへは行っていないので、自分の体験談を元に自分の意見の礎とさせていただきます。
阪神淡路大震災。
そのニュースを知った後、私は何よりも「自分の知人や親戚が心配で」現地に向かいました。
そんな私が、現地に入って最初にした事は何だと思いますか?
吐いたのです。
むせ返る腐臭。垂れ流された汚物。もはや助けを呼ぶ事も無い、ガレキの下の人々。
その現実に圧倒され、ただ吐く事しかできませんでしたよ。
初日は、それでほぼ終わり。吐き、息をし、また吐き。
助けに来たつもりが、気付けば誰とも知らない人に肩を担がれ、避難所の小学校へ運びこまれ。
夜が来ても眠れず、ただガタガタと震え、泣き叫ぶ子供たちに手を差し伸べる事もできず。
「世が明けたら帰る、いや逃げる」そればかり考えていた記憶があります。
ただ「心配の一心」で何の準備も心構えもせず、ただひたすらに現地へと向かい、
「まだ現地は危ない」という家族の反対を押し切り、現場にいた警察官の目をかいくぐるように被災地に入り込み、
結局は現地の人々に迷惑をかけただけの情けない自分。
眠れなかったはずのこの情けない男は、気付けば知らない誰かがかけてくれた毛布に包まれ朝を迎えました。
しかし、そのまま半日は身動きをしませんでした。が、それを叱責する人はいませんでした。
周囲の多くの人はほとんど同じ状況だったからです。
それでも自分がその場所から動き出したのは、トイレに行きたくなったから。情けない動機です。
もちろん、生活インフラが寸断されていたので(汚い話で申し訳ないですが)汚物は流れる事も無く停滞し、
トイレなどという物はとっくに機能していません。壁に廃材の板を立てかけ、小さい廃材でその陰に穴を掘りました。
しかし掘ったらそこには誰かの汚物。別の場所でもまた汚物。比較的深く掘れる場所を見つけ、やっと用を足す自分。
情けなくて、涙が出ましたよ。周りに人は大勢いるのにね。
ほどなく、給水車や簡易トイレがその避難所に到着。手洗い用の汲み置き水も用意され、並んで順番に手や顔を洗い、真新しいタオルを受け取る。
配られたペットボトルの水を一口含んで飲み込んで、やっと自分が取り戻せたような気がしましたよ。まだ弁当は食べられなかったけどね。
で、すでに始まっていたトイレの設営を手伝い、そのままテントの設営を手伝い、気付けばボランティアの人々に混じっていました。
働く事で気が紛れていたのかも。そうでもしていないと身の置き場が無かった、というのも事実だけど。
その後、落ち着いた避難所を拠点に周辺の調査なども手伝うようになり、ガレキの撤去をしたり、仏さんを発見して目印をつけたり。
この頃にはもう吐かなかったな。少しづつでも飯も食べていた。でも、泣いている子供たちを相手にするのは辛かった。
「だいじょうぶだよ」って言えないんですよ。ウソになるような気がして。泣いちゃダメ、とも言えない。自分も泣いたし。
で結局、児童関係の県の職員さん(?)の所まで手を引いたり抱っこしたりして連れて行くだけ。何もできないんでやんの。
警備や巡回中、少なからず火事場ドロボウや痴漢、レ●プ現場を取り押さえたりもした。被災者が被災者を・・・あるいは救済者(ボランティア含む)が被災者を。
やっぱり、そういう時には暴力に訴えるしかなかったよ。その時には自分が正義とは言わない、いや言えないくらい暴力をふるったと思う。
でも、自分はそれを肯定した。他に助ける方法は無かったから。
結局、その後も2週間ほどそこで行動して、ケガを理由に帰された。たいしたケガじゃなかったんだけど、不衛生だからって。
帰って最初にした事は、ケガも無視して風呂。そして布団で寝た。まる一昼夜寝てたよ。
その後になってやっと心配してた被災地の知人たちの無事も確認できた。ってゆーか、それまでそんな事も忘れてた。
以上の体験をふまえて、自分は言わせてもらう。
今回人質になった3人は(過去の自分と同じように)何の覚悟も無く凄惨な現場に飛び込んだだけで、
そこには何の勇気も覚悟も無く、ただ無謀であったように思う。
そして、彼ら自身が今無事なのは「誰のおかげ」であり、さらに「誰に迷惑をかけたか」を熟考し、導かれた結論を
自らの口で公の場に表し、猛省が必要と自ら鑑みる所があったとすれば、それを態度で表すべきである、と自分は思う。
そして表題。<非武装ボランティアを『偉い』と言う方々へ。>
理論武装ではなく、実体験としての貴方の知識/見識/良識に鑑みて、今回人質となった3人の行動に対する意見を求めます。
阪神淡路大震災。
そのニュースを知った後、私は何よりも「自分の知人や親戚が心配で」現地に向かいました。
そんな私が、現地に入って最初にした事は何だと思いますか?
吐いたのです。
むせ返る腐臭。垂れ流された汚物。もはや助けを呼ぶ事も無い、ガレキの下の人々。
その現実に圧倒され、ただ吐く事しかできませんでしたよ。
初日は、それでほぼ終わり。吐き、息をし、また吐き。
助けに来たつもりが、気付けば誰とも知らない人に肩を担がれ、避難所の小学校へ運びこまれ。
夜が来ても眠れず、ただガタガタと震え、泣き叫ぶ子供たちに手を差し伸べる事もできず。
「世が明けたら帰る、いや逃げる」そればかり考えていた記憶があります。
ただ「心配の一心」で何の準備も心構えもせず、ただひたすらに現地へと向かい、
「まだ現地は危ない」という家族の反対を押し切り、現場にいた警察官の目をかいくぐるように被災地に入り込み、
結局は現地の人々に迷惑をかけただけの情けない自分。
眠れなかったはずのこの情けない男は、気付けば知らない誰かがかけてくれた毛布に包まれ朝を迎えました。
しかし、そのまま半日は身動きをしませんでした。が、それを叱責する人はいませんでした。
周囲の多くの人はほとんど同じ状況だったからです。
それでも自分がその場所から動き出したのは、トイレに行きたくなったから。情けない動機です。
もちろん、生活インフラが寸断されていたので(汚い話で申し訳ないですが)汚物は流れる事も無く停滞し、
トイレなどという物はとっくに機能していません。壁に廃材の板を立てかけ、小さい廃材でその陰に穴を掘りました。
しかし掘ったらそこには誰かの汚物。別の場所でもまた汚物。比較的深く掘れる場所を見つけ、やっと用を足す自分。
情けなくて、涙が出ましたよ。周りに人は大勢いるのにね。
ほどなく、給水車や簡易トイレがその避難所に到着。手洗い用の汲み置き水も用意され、並んで順番に手や顔を洗い、真新しいタオルを受け取る。
配られたペットボトルの水を一口含んで飲み込んで、やっと自分が取り戻せたような気がしましたよ。まだ弁当は食べられなかったけどね。
で、すでに始まっていたトイレの設営を手伝い、そのままテントの設営を手伝い、気付けばボランティアの人々に混じっていました。
働く事で気が紛れていたのかも。そうでもしていないと身の置き場が無かった、というのも事実だけど。
その後、落ち着いた避難所を拠点に周辺の調査なども手伝うようになり、ガレキの撤去をしたり、仏さんを発見して目印をつけたり。
この頃にはもう吐かなかったな。少しづつでも飯も食べていた。でも、泣いている子供たちを相手にするのは辛かった。
「だいじょうぶだよ」って言えないんですよ。ウソになるような気がして。泣いちゃダメ、とも言えない。自分も泣いたし。
で結局、児童関係の県の職員さん(?)の所まで手を引いたり抱っこしたりして連れて行くだけ。何もできないんでやんの。
警備や巡回中、少なからず火事場ドロボウや痴漢、レ●プ現場を取り押さえたりもした。被災者が被災者を・・・あるいは救済者(ボランティア含む)が被災者を。
やっぱり、そういう時には暴力に訴えるしかなかったよ。その時には自分が正義とは言わない、いや言えないくらい暴力をふるったと思う。
でも、自分はそれを肯定した。他に助ける方法は無かったから。
結局、その後も2週間ほどそこで行動して、ケガを理由に帰された。たいしたケガじゃなかったんだけど、不衛生だからって。
帰って最初にした事は、ケガも無視して風呂。そして布団で寝た。まる一昼夜寝てたよ。
その後になってやっと心配してた被災地の知人たちの無事も確認できた。ってゆーか、それまでそんな事も忘れてた。
以上の体験をふまえて、自分は言わせてもらう。
今回人質になった3人は(過去の自分と同じように)何の覚悟も無く凄惨な現場に飛び込んだだけで、
そこには何の勇気も覚悟も無く、ただ無謀であったように思う。
そして、彼ら自身が今無事なのは「誰のおかげ」であり、さらに「誰に迷惑をかけたか」を熟考し、導かれた結論を
自らの口で公の場に表し、猛省が必要と自ら鑑みる所があったとすれば、それを態度で表すべきである、と自分は思う。
そして表題。<非武装ボランティアを『偉い』と言う方々へ。>
理論武装ではなく、実体験としての貴方の知識/見識/良識に鑑みて、今回人質となった3人の行動に対する意見を求めます。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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