ニッポンに、市民はいるのか?
投稿者: charalogo 投稿日時: 2004/04/21 22:42 投稿番号: [116742 / 280993]
市民、市民とほざく連中こそ『私』民。
兵役の義務もなく、奉仕の精神もまともに教育されていないこの国で、
はたして「市民」が育つのであろうか。
「平和憲法」は国民の成長を阻害した。
権利のみ主張するヤカラたちは、
納税しているという国民の果たすべき
アタリマエの義務を怠っていない、
ということを逆手に取り、
身勝手に政府に向かって理不尽極まりないことを要求する。
私情優先、利己主義、ノーテンキ事勿れ主義を許した、
まさに戦後教育こそがこの国ホネヌキにしてきた。
第三国人らにもやりたい放題にされ、
このままの弱腰では騒擾事件をも勃発しかねない、
それらが頻発したとき、我が国家は危急存亡に陥る。
関東には、憂国知事がイニシアチブをとられ、
次々と対策、強化がなされているように思う。
翻って我々の関西は、ことに大阪は府も市もバラバラで、
自分勝手な「私民」も幅を利かせている。
纏まろう、という意識がそもそも薄弱なゆえ、
誇るべき歴史や文化をも蔑ろにし歴史の重みを感じていない。
これも教育のなりの果てだ。
今回の事件も「教訓」になるのだろうか?なろうはずも、ない。
いうまでもなく、教育の荒廃、に尽きるのだと思う。
「ゆとり教育」。いいのは、名前だけ。
文科省も、見直しはしたものの、
”教育者の教育”のことも含め課題はテンコモリ。
ジェンダーフリーも、大はやり。
「ミラーマン」こと植草氏の事件などは、氷山の一角にも過ぎない。
明日が見えない。
しかし国民は、日本人として、
本来持つべき共通の価値感を知っているはず。
日本人として生まれ、ここに生きている普遍性。
心の拠り所は個々あろうとも。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afa4gffckdcbfm94bab_1/116742.html