>中国への贖罪意識
投稿者: uranuzmanse 投稿日時: 2003/12/18 22:48 投稿番号: [30 / 680]
皆さん、そろそろ左派やマスゴミ、古い歴史教科書の洗脳から解放されませんか?
日本の戦争責任(国内/海外ニュース)
悪逆の中国・善意の日本1
2003/10/30 5:32
メッセージ: 1309 / 1566
投稿者: [21]メッセージを送信 [22]rekisisiranai (56歳/男性)
かっての日本軍は、残虐で、中国はかわいそうな被害者と言われていますが
、実は、逆です。
日本軍に押し付けられているイメージは、本当は中国軍のものなのです。
昭和12年7月29日、通州の冀東保安隊は、日本人居留民約260人を大虐殺
しました。
その、残酷さは聞きしに勝るものでした。 (詳細は「590責任なし24通州虐
殺事件」を参照)
彼らは、何で、そんなことをしたのかというと、それには理由があります。
実は、その前に、南京から嘘のラジオ放送があったのです。
その内容は、中国軍が勝ち日本軍が敗退しているというものでした。それを
聞いた彼らは慌てました。彼らは、今まで、日本軍と仲良くしていたため、こ
のままだと、自分たちが危ない。反逆者として処罰される可能性があると。
そこで、彼らは日本人を殺して、この手柄を土産に北京の宋哲元のもとへ馳
せ参じようとしたのです。
彼らは、日本人居留民を虐殺して、意気揚々と北京にやってきました。
ところが、そこにいたのは宋哲元ではなく、日本軍でした。
彼らは、慌てて逃げましたが、捕まりました。
温厚な中島29軍顧問は、逆上して「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息巻
きましたが、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ」と止められ、結
局、冀東自治政府の長・殷汝耕だけが引き取られ、残りは城外に放置されまし
た。
殷汝耕は取り調べられましたが、彼が計画したわけではなく、彼もまた被害
者であったので、釈放されました。
結局、誰も、処罰されず釈放されたわけです。
これが、当時の陸軍だったのです。
日本軍は、この前にも、善行を施しています。
盧溝橋事件の停戦協定締結2日後の7月13日、大紅門で中国兵が、移動中の
日本軍トラック二台に手榴弾を投げ込み全員を爆死させ、翌14日には落鉄のた
め部隊から遅れ、馬をひいて歩いている騎馬兵を惨殺しました。
日本側は、これにも、特別な注文をつけませんでした。
中国の悪行を、不問にふしたわけです。
中国側は、それにも関わらず、戦争計画を立てました。
盧山で国防会議を開き、三つの防御線と長期戦を原則とする対日戦略を策定
しました。
その内容は、
「勝倭の道」 「大敵に遇えば即退き、小敵に遇えば即戦う」
「対倭作戦」 「戦術でもって武器の不足を補う」
「戦術原則五項目」
一 要以持久戦 消耗戦之決策 以打破敵人速戦即決之企図
ニ 要立主動 敵攻我守 待其気衰力疲 我即乗出撃
三 要固守陣地 堅忍不退 以深溝高塁厚壁 粉砕敵進攻
四 要利用民力地物 処処設穽防 従抗戦殺敵
五 要講求防制敵機 大砲戦車毒気之戦術 便其攻撃気効
というものです。
要するに、「持久戦・消耗戦略で、日本軍を奥地に引きずり込んで疲弊させ
る」、とか、「民衆の力、地の利を利用して、罠を仕掛け、ゲリラ戦を展開す
る」、というものです。
中国は、この方針のもとに、上海の外側にトーチカやヒンデンブルク・ライ
ンなる防衛線を構築、また、上海の外側に保安隊を配置して、包囲網を圧縮し
ました。
そんな事とは知らない、日本は、通州で、日本人居留民が大虐殺されたにも
関わらず、和平のために、中国が飲みやすいようにと、大幅に譲歩した条件の
停戦案をもって会談を設定したわけです。
しかしこれは、中国の大山中尉惨殺によってぶち壊されます。
つづく
これは yuukouheiwa さんの [23]1 に対する返信です
スレッド [ [24]表示 ]
まだまだ続きはあります。当該トピでどうぞ・・・
日本の戦争責任(国内/海外ニュース)
悪逆の中国・善意の日本1
2003/10/30 5:32
メッセージ: 1309 / 1566
投稿者: [21]メッセージを送信 [22]rekisisiranai (56歳/男性)
かっての日本軍は、残虐で、中国はかわいそうな被害者と言われていますが
、実は、逆です。
日本軍に押し付けられているイメージは、本当は中国軍のものなのです。
昭和12年7月29日、通州の冀東保安隊は、日本人居留民約260人を大虐殺
しました。
その、残酷さは聞きしに勝るものでした。 (詳細は「590責任なし24通州虐
殺事件」を参照)
彼らは、何で、そんなことをしたのかというと、それには理由があります。
実は、その前に、南京から嘘のラジオ放送があったのです。
その内容は、中国軍が勝ち日本軍が敗退しているというものでした。それを
聞いた彼らは慌てました。彼らは、今まで、日本軍と仲良くしていたため、こ
のままだと、自分たちが危ない。反逆者として処罰される可能性があると。
そこで、彼らは日本人を殺して、この手柄を土産に北京の宋哲元のもとへ馳
せ参じようとしたのです。
彼らは、日本人居留民を虐殺して、意気揚々と北京にやってきました。
ところが、そこにいたのは宋哲元ではなく、日本軍でした。
彼らは、慌てて逃げましたが、捕まりました。
温厚な中島29軍顧問は、逆上して「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息巻
きましたが、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ」と止められ、結
局、冀東自治政府の長・殷汝耕だけが引き取られ、残りは城外に放置されまし
た。
殷汝耕は取り調べられましたが、彼が計画したわけではなく、彼もまた被害
者であったので、釈放されました。
結局、誰も、処罰されず釈放されたわけです。
これが、当時の陸軍だったのです。
日本軍は、この前にも、善行を施しています。
盧溝橋事件の停戦協定締結2日後の7月13日、大紅門で中国兵が、移動中の
日本軍トラック二台に手榴弾を投げ込み全員を爆死させ、翌14日には落鉄のた
め部隊から遅れ、馬をひいて歩いている騎馬兵を惨殺しました。
日本側は、これにも、特別な注文をつけませんでした。
中国の悪行を、不問にふしたわけです。
中国側は、それにも関わらず、戦争計画を立てました。
盧山で国防会議を開き、三つの防御線と長期戦を原則とする対日戦略を策定
しました。
その内容は、
「勝倭の道」 「大敵に遇えば即退き、小敵に遇えば即戦う」
「対倭作戦」 「戦術でもって武器の不足を補う」
「戦術原則五項目」
一 要以持久戦 消耗戦之決策 以打破敵人速戦即決之企図
ニ 要立主動 敵攻我守 待其気衰力疲 我即乗出撃
三 要固守陣地 堅忍不退 以深溝高塁厚壁 粉砕敵進攻
四 要利用民力地物 処処設穽防 従抗戦殺敵
五 要講求防制敵機 大砲戦車毒気之戦術 便其攻撃気効
というものです。
要するに、「持久戦・消耗戦略で、日本軍を奥地に引きずり込んで疲弊させ
る」、とか、「民衆の力、地の利を利用して、罠を仕掛け、ゲリラ戦を展開す
る」、というものです。
中国は、この方針のもとに、上海の外側にトーチカやヒンデンブルク・ライ
ンなる防衛線を構築、また、上海の外側に保安隊を配置して、包囲網を圧縮し
ました。
そんな事とは知らない、日本は、通州で、日本人居留民が大虐殺されたにも
関わらず、和平のために、中国が飲みやすいようにと、大幅に譲歩した条件の
停戦案をもって会談を設定したわけです。
しかしこれは、中国の大山中尉惨殺によってぶち壊されます。
つづく
これは yuukouheiwa さんの [23]1 に対する返信です
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まだまだ続きはあります。当該トピでどうぞ・・・
これは メッセージ 29 (kemushiuyouyo さん)への返信です.
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