中国・四川省大地震

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Re: 天安門

投稿者: jptmd2008 投稿日時: 2008/06/06 01:17 投稿番号: [7246 / 15652]
>1919年冬<<<

古臭いものを出してまで、自分の首を絞めるつもりか。

【この「感謝状」は証拠として乏しい。というのも、1895年に日本が不平等な『馬関条約(下関条約)』によって中国の台湾省を占領し、これに前後して釣魚島を盗み取っている。釣魚島もまた台湾に属する島であり、この状態は1945年の日本の敗戦まで続いている。よって、この期間の「感謝状」の中の表記も、当時の日本が台湾や釣魚島を占領している状況を反映しているものと見られ、釣魚島を日本の「固有の領土」であることを証明することができない。史料によると、1941年に同じく日本の統治下にあった沖縄と台湾は、漁業問題に起因して釣魚島で争いを起こしており、東京の裁判所は釣魚島を「台北州」の管轄との判断を下している。(10)このように、当時の日本は法律の面でも釣魚島を沖縄県所属とは認めていない。 】

>日本は日清戦争中の1895年1月14日から一貫して尖閣諸島を領有している。
<<<

日本は、掠め取り、公表すらできなくて、石油資源が発見されて始めて領有を表明した。

>尚、中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版)において尖閣諸島は日本領として扱われている。

【日本の地図や公文書ではかつて、島の中国名を正式に使用していたことがある。統計によると、1935年から1970年にかけて日本で出版された地図21種類および大百科事典の3分の2に「尖閣列島」の記載がなく、「魚釣島」と記載しているものもあった。日本では釣魚島に属する島々の呼び方は混乱している。日本が最初に呼ぶようになった「尖閣列島」は、沖縄師範学校の黒田岩恒教諭が1900年5月、イギリス人が呼んでいた「尖頭諸島」から名づけたという。日本政府は1921年7月25日、同島の「国有地」編入に際して、赤尾嶼を「大正島」と改称したが、日本政府はこの名称を長い間正式に使用しなかった。第2次世界大戦後に日本が連合国司令部に提出した、海上保安庁水路部の海図は、依然として中国が命名した黄尾嶼、赤尾嶼を使用している。米軍占領下の沖縄県が1969年に発した正式文書や掲示でも、黄尾嶼、赤尾嶼などの島名が使用されている。1969年5月に釣魚島海域に石油が埋蔵されているとの情報が流れると、沖縄県は石油会社から相次ぐ調査申請を受け、同県石垣市長の命令で釣魚島に目印となる杭を建設、黄尾嶼を「久場島」、赤尾嶼を「大正島」と再度改称した。


>中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版)において尖閣諸島は日本領として扱われている。
<<<

中華民国は、沖縄が日本に占拠されていると認識している。
つまり、沖縄は日本の領土でないことである。

日本の領土すら、カイロ宣言に拘束されている。
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