Re: 侵略戦争と植民地支配をして太った支那
投稿者: qrosoi50 投稿日時: 2008/06/01 14:38 投稿番号: [6198 / 15652]
>追い詰められた日本は仕方なく「自衛」のため戦争を余儀なくされました。<
・トピずれですが、「自衛戦争」という当たり前の認識を“肯定する証人として”、彼の名前を知らない人がいるかも知れません。
マッカーサーです。
東京裁判では日本を侵略戦争の元凶と断罪した張本人が、後に仕方のない自衛戦争だったと公の場で発言しています。
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昭和26(1951)年5月3日。朝鮮戦争に於ける戦争方針でトルーマン大統領と対立し、GHQ最高司令官を解任されたマッカーサーが、米国上院軍事外交共同委員会の場で、朝鮮戦争に於いて彼が主張した支那海上封鎖戦略についての答弁の際、以下の様な「爆弾発言」をしたのです。曰く、
『問
では五番目の質問です。赤化支那(中共:共産中国)に対し海と空とから封鎖してしまへといふ貴官(マッカーサーの事)の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。
『答
その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです』
(小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より)
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朝鮮戦争でソビエト・中国を相手に米韓連合軍を指揮して初めてマッカーサーは日本の置かれていた立場を理解したのです。
大国ソビエト・清の脅威から日本を守る上で朝鮮半島がいかに重要だったか遅まきながら理解し、防衛だったと発言したのです。
もうひとつ、太平洋戦争を決断する日本の悲壮な決意を理解すべきです。
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昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議に於ける永野修身(おさみ)海軍大将の発言です。彼は、米国が日本に突き付けてきた事実上の最後通牒『ハル-ノート』を甘受、米国に屈服し戦争を回避するか、はたまた、何もせずに時勢が好転するのをじっと待つか、或いは、対米開戦に踏み切って戦争の中に活路を見い出すかについて、こう発言しています。
「戦わざれば、亡国と、政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見いだしうるであろう。戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう」
永野大将は遠回しに、米英との戦争は端から「勝ち目」の無い「負け戦」である、と言っているのです。決して言われている様な「侵略戦争」をしよう等とは露共思ってはいないのです。
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“戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう”
国を守る悲壮な決意です。日本精神は、左巻き教育で死滅していませんか?
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/jiei_sensou.html
・トピずれですが、「自衛戦争」という当たり前の認識を“肯定する証人として”、彼の名前を知らない人がいるかも知れません。
マッカーサーです。
東京裁判では日本を侵略戦争の元凶と断罪した張本人が、後に仕方のない自衛戦争だったと公の場で発言しています。
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昭和26(1951)年5月3日。朝鮮戦争に於ける戦争方針でトルーマン大統領と対立し、GHQ最高司令官を解任されたマッカーサーが、米国上院軍事外交共同委員会の場で、朝鮮戦争に於いて彼が主張した支那海上封鎖戦略についての答弁の際、以下の様な「爆弾発言」をしたのです。曰く、
『問
では五番目の質問です。赤化支那(中共:共産中国)に対し海と空とから封鎖してしまへといふ貴官(マッカーサーの事)の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。
『答
その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです』
(小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より)
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朝鮮戦争でソビエト・中国を相手に米韓連合軍を指揮して初めてマッカーサーは日本の置かれていた立場を理解したのです。
大国ソビエト・清の脅威から日本を守る上で朝鮮半島がいかに重要だったか遅まきながら理解し、防衛だったと発言したのです。
もうひとつ、太平洋戦争を決断する日本の悲壮な決意を理解すべきです。
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昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議に於ける永野修身(おさみ)海軍大将の発言です。彼は、米国が日本に突き付けてきた事実上の最後通牒『ハル-ノート』を甘受、米国に屈服し戦争を回避するか、はたまた、何もせずに時勢が好転するのをじっと待つか、或いは、対米開戦に踏み切って戦争の中に活路を見い出すかについて、こう発言しています。
「戦わざれば、亡国と、政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見いだしうるであろう。戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう」
永野大将は遠回しに、米英との戦争は端から「勝ち目」の無い「負け戦」である、と言っているのです。決して言われている様な「侵略戦争」をしよう等とは露共思ってはいないのです。
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“戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう”
国を守る悲壮な決意です。日本精神は、左巻き教育で死滅していませんか?
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/jiei_sensou.html
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