中国

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

アジアの孤児--日本統治下の台湾

投稿者: natsumesouseki_hk 投稿日時: 2004/08/31 14:01 投稿番号: [9521 / 66577]
『アジアの孤児 -- -日本統治下の台湾』(新人物往来社刊)のことである。呉濁流氏は一九○○ 年、日本帝国主義下の台湾に生まれ、「公学校」(小学校ではない)、「国語学校」(後に「台北師範」と改称、ここでの国語とはむろん日本語を指す)を経て、「公学校訓導」(教諭ではない)を二○年勤め、その後新聞記者生活のかたわら作家活動にはいり、現在は季刊雑誌『台湾文芸』を主宰して旺盛な活動を続けている人物である。その経歴からうかがわれるように、彼は日本統治下の台湾に育ち、数多くの台湾民衆とともに苦渋に満ちた人生を生きてきた。一例をあげれば、一九四○年、彼はそれまでの二○年の教員生活に別れを告げることになるが、これは新埔(彼の故郷)で開かれた郡主催の運動会のとき、郡視学をひやかしたために公衆の面前でなぐられたことがきっかけであった。「内台融和」「一視同仁」のスローガンとはうらはらに、現実には「本島人」への露骨な差別が行われており、ふだんから心の中に鬱積していた不満、憤りが一挙に爆発した。彼は郡視学の謝罪を要求したが容れられず、結局これに抗議して教員を辞任した。反骨教師が郡視学に抗議して辞任した、というのはごく小さな出来事にすぎず、あえてとりあげるには及ばないエピソードかもしれない。しかし、この郡視学が日本人であり、旧植民地での日本人は多かれ少なかれこのような態度で民衆に接したことを考えれば、このエピソードはかなり普遍性をもつであろう。ここには当時の帝国主義日本対植民地台湾の関係が、直接的に反映しているのである。それだけでなく、こうした構造は戦後の日台関係あるいは日本と東南アジアとの関係においても、再生産されている事実に注目しなければならない。私はいま、数年前、バンコクのナイトクラブで日本人商社員がホステスによって射殺され、同じころシンガポールで、ある日本人主婦が殺された事件を想起している。むろん戦前の日本植民地の民衆と戦後の商社員が全く何じだというのではない。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)