>雑感
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/08/31 12:04 投稿番号: [9512 / 66577]
日本語勉強のきっかけについてですか。
今は昔。
私が日本語を勉強したきっかけは、純粋な間違いによってはじめたわけです。ご存知のように1984年辺り、中国の所謂「改革開放」政策が始まってからただの4年ばかり、外国語の勉強と言っても一部の大都市を例外とすれば、外国語はイコール英語みたいな感じでした。
因みに私は高校時代は英語をやりました。学校自体もキリスト教会の建物を利用したので、イタリアからの牧師から英語を教わったのです。農村ですから英語の教師さえいませんでした。
大学受験は勿論国家統一試験(年に一回だけ)。何しろ外国語=英語の時代だから
外語大に受けた私は当然英語学部希望でした。まあ、これから正式に英語をやるんだと、北京へ向かう「火車」(日本でいえば電車)の中でもすっかり英語学部の様子を想像してみたのね。
ところで大学の受け付け手続きを終えてから、自分はアジア・アフリカ語学部の日本語化に入っているのじゃないかと?その事実に気が付いた。言うまでもなく大暴れだよ。
俺は英語希望だと願書に書いてあるのじゃないかと?
俺は日本語の「に」も知らないのに、どうやって日本語をやっていけるか、と?
テメーらは勝って過ぎるのではないかと?
ともかく真っ青。一日飯も食わなかったよ。で、問題は私一人だけではなさそうに見え、何人かと少し落ち着き、事態の推移を見守ろうかと思いました。
次の日、一人40代の日本語の先生がきてくれました。とてもやさしそうな女性の先生でした。
「君らもすでにうすうす感ずるように、当初英語希望だったようだが、今は我が日本語科に入ってくれました。正式なご挨拶は学部長さんからあると思いますが、とりあえず私から歓迎のご挨拶を申し上げ・・・」
いつも親譲りの無鉄砲なこの俺が先生の話を「げ」の所で抑え切ってすぐさまにたってしまったのです。手を上げるのもしなかった。
「何だよ?何が歓迎かよ」?
「誰が日本語科に行くと言ったろ?、説明に来たのではないか?」
「テメーらの勝手だろ?」
いきなり質面攻めに突入。先生は私の不意な行動にやや驚き、すぐにも笑顔を浮かべ、私のそばにきて、「待っててね、すぐ説明しますから」と、その場を何とか引っ繰り返されずに維持して説明に入った。
「あのね、皆さんもご存知のように英語受験者と希望者はあまりにも多く、英語学
部の募集人数をはるかに超えています。その一方日本語学科やアラビア語学科に希望者は余りにも少なかった、つまり募集人数が満たしていないわけ。それで大学の決定によって、英語希望者から皆さんを我が日本語科に分けて戴きました。先の方のようにいやだという人がいますが、それは百も承知の上、とりあえず二週間ばかり日本語科を体験してみたら如何でしょうか?・・・」
納得はしていませんが、何しろ国の言うことはすべてという時代、まま皆さんの様子を見ようかと、決め、日本語科に入ったわけです。
要は英語=外国語というミスの連続にわが身に降りかかったわけよ。ある因縁を信じれば・・・としきりに後悔する私の今のこのごろです。
その後、先生のご指示の下か、先輩方がやたらに日本の歌を流して聞かせるのです。これは日本語科を馴染ませるための作戦かな、と不信感を抱きながらもその歌のメロティーに魅了され、引きずり込まれて行ったわけです。
芹洋子の『四季の歌』とか布施明の『シクラメンのかほり』とか・・・それが意外に奏功したんですよ。はは・・・
それがなければですね、俺は何とか日本語科から脱出しただろう。ひゃくぱーに。
・・・・・・・・・・・・・・・・
感想:
日本語の勉強をしていて、どうしてこんなに難しいのか、と何度か思ったことがある。いくら努力しても少しも手ごたえがない感じである。いつもその表現の正否に気を盗られていて、そのうちに英語はありがたいものでさほど苦労しないでも何とか用を足すことができる、という安易な想像に走ってしまう向きがあった。
私の勘違いかもしれないが、ここでの投稿に見られるように、難しい表現を好む人がいて、わざと文を長々と曲げていくような・・・
どうやら判りにくい文章が高級と思い込ませるのではないかと、
或いは我々外国人の日本語への見下し、ではないか、と?
今は昔。
私が日本語を勉強したきっかけは、純粋な間違いによってはじめたわけです。ご存知のように1984年辺り、中国の所謂「改革開放」政策が始まってからただの4年ばかり、外国語の勉強と言っても一部の大都市を例外とすれば、外国語はイコール英語みたいな感じでした。
因みに私は高校時代は英語をやりました。学校自体もキリスト教会の建物を利用したので、イタリアからの牧師から英語を教わったのです。農村ですから英語の教師さえいませんでした。
大学受験は勿論国家統一試験(年に一回だけ)。何しろ外国語=英語の時代だから
外語大に受けた私は当然英語学部希望でした。まあ、これから正式に英語をやるんだと、北京へ向かう「火車」(日本でいえば電車)の中でもすっかり英語学部の様子を想像してみたのね。
ところで大学の受け付け手続きを終えてから、自分はアジア・アフリカ語学部の日本語化に入っているのじゃないかと?その事実に気が付いた。言うまでもなく大暴れだよ。
俺は英語希望だと願書に書いてあるのじゃないかと?
俺は日本語の「に」も知らないのに、どうやって日本語をやっていけるか、と?
テメーらは勝って過ぎるのではないかと?
ともかく真っ青。一日飯も食わなかったよ。で、問題は私一人だけではなさそうに見え、何人かと少し落ち着き、事態の推移を見守ろうかと思いました。
次の日、一人40代の日本語の先生がきてくれました。とてもやさしそうな女性の先生でした。
「君らもすでにうすうす感ずるように、当初英語希望だったようだが、今は我が日本語科に入ってくれました。正式なご挨拶は学部長さんからあると思いますが、とりあえず私から歓迎のご挨拶を申し上げ・・・」
いつも親譲りの無鉄砲なこの俺が先生の話を「げ」の所で抑え切ってすぐさまにたってしまったのです。手を上げるのもしなかった。
「何だよ?何が歓迎かよ」?
「誰が日本語科に行くと言ったろ?、説明に来たのではないか?」
「テメーらの勝手だろ?」
いきなり質面攻めに突入。先生は私の不意な行動にやや驚き、すぐにも笑顔を浮かべ、私のそばにきて、「待っててね、すぐ説明しますから」と、その場を何とか引っ繰り返されずに維持して説明に入った。
「あのね、皆さんもご存知のように英語受験者と希望者はあまりにも多く、英語学
部の募集人数をはるかに超えています。その一方日本語学科やアラビア語学科に希望者は余りにも少なかった、つまり募集人数が満たしていないわけ。それで大学の決定によって、英語希望者から皆さんを我が日本語科に分けて戴きました。先の方のようにいやだという人がいますが、それは百も承知の上、とりあえず二週間ばかり日本語科を体験してみたら如何でしょうか?・・・」
納得はしていませんが、何しろ国の言うことはすべてという時代、まま皆さんの様子を見ようかと、決め、日本語科に入ったわけです。
要は英語=外国語というミスの連続にわが身に降りかかったわけよ。ある因縁を信じれば・・・としきりに後悔する私の今のこのごろです。
その後、先生のご指示の下か、先輩方がやたらに日本の歌を流して聞かせるのです。これは日本語科を馴染ませるための作戦かな、と不信感を抱きながらもその歌のメロティーに魅了され、引きずり込まれて行ったわけです。
芹洋子の『四季の歌』とか布施明の『シクラメンのかほり』とか・・・それが意外に奏功したんですよ。はは・・・
それがなければですね、俺は何とか日本語科から脱出しただろう。ひゃくぱーに。
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感想:
日本語の勉強をしていて、どうしてこんなに難しいのか、と何度か思ったことがある。いくら努力しても少しも手ごたえがない感じである。いつもその表現の正否に気を盗られていて、そのうちに英語はありがたいものでさほど苦労しないでも何とか用を足すことができる、という安易な想像に走ってしまう向きがあった。
私の勘違いかもしれないが、ここでの投稿に見られるように、難しい表現を好む人がいて、わざと文を長々と曲げていくような・・・
どうやら判りにくい文章が高級と思い込ませるのではないかと、
或いは我々外国人の日本語への見下し、ではないか、と?
これは メッセージ 9497 (drchobihige さん)への返信です.
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