wangjunhe720さんへ
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2004/08/29 13:58 投稿番号: [9428 / 66577]
ま、「学問の中立性」については、Gogaiさんのおっしゃるとおり。Gogaiさんのご指摘が正しいと思いますので、「学問の自由」に言い換えます。
ただ、Wangさんの一連の投稿で、少し気になる部分があるのですが、ま、私の思い過ごしだったら、ごめんなさい。
部分的には、お隣にすでに書いているのですが、台湾に於ける民主主義受容過程での民主主義についての誤った観念というところが、Wangさんの投稿にも共通して感じられるのですが。。。
これは、民主主義にせよ、学問の自由、表現の自由にせよ、「完成した形態で静的にあるのではない」ということ。
民主社会、学問の自由などは、その完成形を希求する過程に於いて、少しずつ実現されるものであって、民主社会・学問の自由は、それらを志向する方向性(ベクトル)の中で、それらの完成形を目指す一段階として私たちが享受するもの。ただ、常にそれらをよりよい形で実現しようとする、不断の努力が必要なわけで、決して、政府や体制から、静的なモノとして与えられるわけではない、ということ。
民主主義とは、ですから、時系列の中で絶えず進化・進歩しつづけねばならないモノなのです。
ですから、非常に簡単に言うと、民主主義は「より動的」であり、共産主義は「より静的」である、とでも言えばよいか。。。
まあ、これ以上は、お国の制度の問題なので、あまり深入りはしませんが、この共産主義の「より静的」な特質が、中国社会の一大特徴である、「保守性」、もっと分かりやすく言うと、「既得権益の死守」と共通する部分が多いのです。
中国では、ほとんどがこの「既得権益の死守」により、「既得権益の利権」を得ることに奔走するわけ。
だから、視野も行動範囲も狭いわけです。キャパシティなどは必要なく、ステレオタイプ的思考で十分。既存体制の中での既得権益のおこぼれを預かる、という悪弊が歴史的に伝統的に充満しているわけ。これは、台湾や香港も同じ。また、華僑社会も同じです。
ベクトルの中で、志向するという運動性の中で、物事を見る必要があると思います。
ただ、Wangさんの一連の投稿で、少し気になる部分があるのですが、ま、私の思い過ごしだったら、ごめんなさい。
部分的には、お隣にすでに書いているのですが、台湾に於ける民主主義受容過程での民主主義についての誤った観念というところが、Wangさんの投稿にも共通して感じられるのですが。。。
これは、民主主義にせよ、学問の自由、表現の自由にせよ、「完成した形態で静的にあるのではない」ということ。
民主社会、学問の自由などは、その完成形を希求する過程に於いて、少しずつ実現されるものであって、民主社会・学問の自由は、それらを志向する方向性(ベクトル)の中で、それらの完成形を目指す一段階として私たちが享受するもの。ただ、常にそれらをよりよい形で実現しようとする、不断の努力が必要なわけで、決して、政府や体制から、静的なモノとして与えられるわけではない、ということ。
民主主義とは、ですから、時系列の中で絶えず進化・進歩しつづけねばならないモノなのです。
ですから、非常に簡単に言うと、民主主義は「より動的」であり、共産主義は「より静的」である、とでも言えばよいか。。。
まあ、これ以上は、お国の制度の問題なので、あまり深入りはしませんが、この共産主義の「より静的」な特質が、中国社会の一大特徴である、「保守性」、もっと分かりやすく言うと、「既得権益の死守」と共通する部分が多いのです。
中国では、ほとんどがこの「既得権益の死守」により、「既得権益の利権」を得ることに奔走するわけ。
だから、視野も行動範囲も狭いわけです。キャパシティなどは必要なく、ステレオタイプ的思考で十分。既存体制の中での既得権益のおこぼれを預かる、という悪弊が歴史的に伝統的に充満しているわけ。これは、台湾や香港も同じ。また、華僑社会も同じです。
ベクトルの中で、志向するという運動性の中で、物事を見る必要があると思います。
これは メッセージ 9415 (gogai3000 さん)への返信です.
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