民族感情の無限ループ
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2004/08/28 14:35 投稿番号: [9332 / 66577]
中国系は、と書くと、反感を覚える人が沢山いるとは思いますが、敢えて。。。
中国系の方々は、その性格として、民族感情が強い、ということが言える。これは、半島系の人間にも同様に言えることではあるが。。。
その民族感情の中の主要なファクターに、メンツ主義がある。
こうした民族的性格・性質を巧みに利用してきたのが、中国共産党であり、国民党である。まあ、こうしたことは何度も書いてきたので、それこそ、過去ログに耳タコ状態で散見できるお話。
では、なぜ、また同じ事を書いているのか。。。
私は、個人的意見としては、このトピ(掲示板)は、日・中の人間が、お互いを考える場になってほしいと思っているからです。
罵倒、捨て台詞、それに終始する人も沢山います。また、両国の人間の相互理解など不可能だ、という人もいる。
しかし、試みることは、大切です。
どこまでお互いの、民族性、国民性、個性を超克し、対等に議論できるか、そうした試みはしてもいいのではないか?
これが私の考え。
無駄だ、不可能だ、馬鹿馬鹿しい、と、吐き捨てる前に、そうした努力はしてもいいのではないか?といつもそう思う。
一方的な反省を強いたり、根底に侮蔑の感情があり、底意地悪く、捨て台詞をまき散らす、こうした行為は、現実の社会では、あまり見かけないモノ。しかるに、掲示板では、文としてそうしたモノが残滓となって、堆積していく。
私たちは、自我というものに、あまりに無関心なのではないか?反省という努力を強いる行為から逃避しているのではないか?
自我、自己同定性(アイデンティティ)、その要素である、社会と自分、社会の中での自分、国家と自分、民族と自分、など、考えていないのではないだろうか?
ただ、民族感情という、短絡的な逃げ道に逃避し、相手を罵倒したり、侮蔑する。。。
「中国人は日本人から深い、決して忘れることの出来ない行為を受けた」として、絶対日本人は許さないとか、謝罪が足りないと言い続け、民族感情の逃避を続け、そうした自我に対する思索を拒否しつづけている中国系の連中がいる。
民族感情という殻に入り込んでしまい、自閉的に、怨呪の言葉をまき散らす、低脳な行為ではあるが、ご本人たちはそれに気づいていない。なぜか?それが一番楽な方法だから、思考を必要とせず、結論を一番簡単に出せるやり口だから。
では、日本人はどうか?歴史的反省をしたか?これは、民族と自分、国家と自分、歴史と自分ということを考えねば、できない行為で、そうした思索を経て(その深浅はともかく)、謝罪する。
それに対し、今度は、謝罪の真意が感じられない、という。
まったく、無意味なループである。
なぜ謝罪を要求できるのか?
これに対し、「それは当たり前だ、日本人は中国を侵略し、中国人に残虐な行為をし、大量虐殺したからだ。。。云々」
さらに、「同胞の間での大量虐殺については、日本人にそれをとやかく言う権利はない」などと言う。
すべて織り込み済みの、なんというか、先の読める、思考パターン。。。
まだ足りないのかも知れないが、戦争を知らず、戦争とは全く関係のない若い世代までもが歴史的反省を強要されていることに、「不思議」を感じず、「当然」だと言い切るということは、「当然だ」と言っている連中が、歴史的反省をしていない、また、国家と自己、民族と自己、歴史と自己、などについて十分な思索がなされていないからに他ならない。
こうしたことは、それこそ、過去に何度もここで論議し続けてきたことです。
今は、そうした議論に耐えうるだけの準備ができていない人たちが、それこそこの2週間、がなり立てているだけ、としか見えない。
私は、日・中、どちらが優秀かとか、どちらが偉いか、とか、どちらが富裕か、などというようなことを言う気はない。
ただ、両国の人間が、対等に、話し合える場があってほしい、そう思うだけ。
そのためには、日本人は、「中国系の人たちは、日本人より、民族感情やメンツ主義に傾く度合いが強い」ということを認識し、辛抱強く話し合えばよい。
さらに、中国系の人たちは、一方的に歴史的反省とか、謝罪、さらには、経済発展などと言うのではなく、まず、「自我」「自己同定性」の確立に努力すべきである。
お互い、問題を超克し、次の段階に進む、そうした方向性がほしいものです。
(超克=アウフヘーベン、ヘーゲルの弁証法だわね。。。こうした論の展開をどうか、中国系の人たちが理解して、自己のモノとしてほしい、これは切にそう思います)
ま、甘い意見ですが。。。過去ログ、面倒で読みたくない人のために、簡単にまとめてみました。
中国系の方々は、その性格として、民族感情が強い、ということが言える。これは、半島系の人間にも同様に言えることではあるが。。。
その民族感情の中の主要なファクターに、メンツ主義がある。
こうした民族的性格・性質を巧みに利用してきたのが、中国共産党であり、国民党である。まあ、こうしたことは何度も書いてきたので、それこそ、過去ログに耳タコ状態で散見できるお話。
では、なぜ、また同じ事を書いているのか。。。
私は、個人的意見としては、このトピ(掲示板)は、日・中の人間が、お互いを考える場になってほしいと思っているからです。
罵倒、捨て台詞、それに終始する人も沢山います。また、両国の人間の相互理解など不可能だ、という人もいる。
しかし、試みることは、大切です。
どこまでお互いの、民族性、国民性、個性を超克し、対等に議論できるか、そうした試みはしてもいいのではないか?
これが私の考え。
無駄だ、不可能だ、馬鹿馬鹿しい、と、吐き捨てる前に、そうした努力はしてもいいのではないか?といつもそう思う。
一方的な反省を強いたり、根底に侮蔑の感情があり、底意地悪く、捨て台詞をまき散らす、こうした行為は、現実の社会では、あまり見かけないモノ。しかるに、掲示板では、文としてそうしたモノが残滓となって、堆積していく。
私たちは、自我というものに、あまりに無関心なのではないか?反省という努力を強いる行為から逃避しているのではないか?
自我、自己同定性(アイデンティティ)、その要素である、社会と自分、社会の中での自分、国家と自分、民族と自分、など、考えていないのではないだろうか?
ただ、民族感情という、短絡的な逃げ道に逃避し、相手を罵倒したり、侮蔑する。。。
「中国人は日本人から深い、決して忘れることの出来ない行為を受けた」として、絶対日本人は許さないとか、謝罪が足りないと言い続け、民族感情の逃避を続け、そうした自我に対する思索を拒否しつづけている中国系の連中がいる。
民族感情という殻に入り込んでしまい、自閉的に、怨呪の言葉をまき散らす、低脳な行為ではあるが、ご本人たちはそれに気づいていない。なぜか?それが一番楽な方法だから、思考を必要とせず、結論を一番簡単に出せるやり口だから。
では、日本人はどうか?歴史的反省をしたか?これは、民族と自分、国家と自分、歴史と自分ということを考えねば、できない行為で、そうした思索を経て(その深浅はともかく)、謝罪する。
それに対し、今度は、謝罪の真意が感じられない、という。
まったく、無意味なループである。
なぜ謝罪を要求できるのか?
これに対し、「それは当たり前だ、日本人は中国を侵略し、中国人に残虐な行為をし、大量虐殺したからだ。。。云々」
さらに、「同胞の間での大量虐殺については、日本人にそれをとやかく言う権利はない」などと言う。
すべて織り込み済みの、なんというか、先の読める、思考パターン。。。
まだ足りないのかも知れないが、戦争を知らず、戦争とは全く関係のない若い世代までもが歴史的反省を強要されていることに、「不思議」を感じず、「当然」だと言い切るということは、「当然だ」と言っている連中が、歴史的反省をしていない、また、国家と自己、民族と自己、歴史と自己、などについて十分な思索がなされていないからに他ならない。
こうしたことは、それこそ、過去に何度もここで論議し続けてきたことです。
今は、そうした議論に耐えうるだけの準備ができていない人たちが、それこそこの2週間、がなり立てているだけ、としか見えない。
私は、日・中、どちらが優秀かとか、どちらが偉いか、とか、どちらが富裕か、などというようなことを言う気はない。
ただ、両国の人間が、対等に、話し合える場があってほしい、そう思うだけ。
そのためには、日本人は、「中国系の人たちは、日本人より、民族感情やメンツ主義に傾く度合いが強い」ということを認識し、辛抱強く話し合えばよい。
さらに、中国系の人たちは、一方的に歴史的反省とか、謝罪、さらには、経済発展などと言うのではなく、まず、「自我」「自己同定性」の確立に努力すべきである。
お互い、問題を超克し、次の段階に進む、そうした方向性がほしいものです。
(超克=アウフヘーベン、ヘーゲルの弁証法だわね。。。こうした論の展開をどうか、中国系の人たちが理解して、自己のモノとしてほしい、これは切にそう思います)
ま、甘い意見ですが。。。過去ログ、面倒で読みたくない人のために、簡単にまとめてみました。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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