トルコ風呂
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2004/08/21 13:44 投稿番号: [8678 / 66577]
これも、この話題に関連して以前書いたこと。
「トルコ風呂」という風俗営業の名前が、自分の国「トルコ」を、そんなふうな(どんなふうや?と突っ込まないで。。。)イメージで捉えられるのが辛い、悲しい、といって、「トルコ風呂」という呼称を止めてくれ、といって頑張った、トルコ大使館の人たちがおります。あのときは、さすがに、日本人も、辛い気持ちは分かった、と「トルコ風呂」を使わないようにしましたねー。
で、そんなに「中共」がイヤなら、トルコを見習って、そーしたら?と、前に何度か書きました。
私が、「中共」が一部中華人民共和国出身者に不快感をもたらすからといって、退けない理由は、「私の用いる”中共”が、その使用に於ける歴史的経緯を含め十分な使用例を”日本語として”」持っているからです。
日本語としての「中共」は、中国語に於ける「小日本」とは違い、蔑称でも、差別用語でもありません。立派に、国民全体に普及浸透した言葉であったわけです。
それを、ある政治的な理由により、使うな、というのは、「日本語」に対する冒涜。
現在普及している、スラングとしての中国語の「中共」とは、全く意味・用例が違う。
日本語の独特の発達をよくご存じの方が、日本語の「中共」と中国語のスラングの「中共」を混同して、不快感を表すのは、漢字を含めて、言語的な弁別が完全になされていないから、としか思えない。
また、中華人民共和国が「一中」を掲げている政治的情況では、「中国」或いは「中国人」として、一括して中国語圏の人間を呼称し、自然、「一中」を助長するような方向には向かいたくないので、なるべくこうした呼称を用いないだけ。
漢字についても、「日本語としての漢字」と「中国語としての漢字」を、言語として弁別する必要があるのですが、それを混同する連中が、まあ、いるわいるわ。。。
私の個人的な意見では、そうした、言語的弁別を行わない(怠惰で行わない・バカで行えない・意図的に行わない、などを含め)のは、その国の言語文化に対する冒涜だとしか思えないです、ね。。。
つまり、文化的知的に野蛮である証拠。
特に、Wangさんのように、言語に先鋭であらねばならぬ職業の人にとってはこれは致命的なことです。
言語に対する尊敬、言語文化に対する尊敬、その言語を使用する人たちへの尊敬がなければ、文化なんぞ理解できません。
そのためには、徹底した言語の弁別が必要となる。
折口なぞを読んで、こうしたことが分かりませんか?
最近、不勉強じゃないの?と、少し叱り気味。。。
「トルコ風呂」という風俗営業の名前が、自分の国「トルコ」を、そんなふうな(どんなふうや?と突っ込まないで。。。)イメージで捉えられるのが辛い、悲しい、といって、「トルコ風呂」という呼称を止めてくれ、といって頑張った、トルコ大使館の人たちがおります。あのときは、さすがに、日本人も、辛い気持ちは分かった、と「トルコ風呂」を使わないようにしましたねー。
で、そんなに「中共」がイヤなら、トルコを見習って、そーしたら?と、前に何度か書きました。
私が、「中共」が一部中華人民共和国出身者に不快感をもたらすからといって、退けない理由は、「私の用いる”中共”が、その使用に於ける歴史的経緯を含め十分な使用例を”日本語として”」持っているからです。
日本語としての「中共」は、中国語に於ける「小日本」とは違い、蔑称でも、差別用語でもありません。立派に、国民全体に普及浸透した言葉であったわけです。
それを、ある政治的な理由により、使うな、というのは、「日本語」に対する冒涜。
現在普及している、スラングとしての中国語の「中共」とは、全く意味・用例が違う。
日本語の独特の発達をよくご存じの方が、日本語の「中共」と中国語のスラングの「中共」を混同して、不快感を表すのは、漢字を含めて、言語的な弁別が完全になされていないから、としか思えない。
また、中華人民共和国が「一中」を掲げている政治的情況では、「中国」或いは「中国人」として、一括して中国語圏の人間を呼称し、自然、「一中」を助長するような方向には向かいたくないので、なるべくこうした呼称を用いないだけ。
漢字についても、「日本語としての漢字」と「中国語としての漢字」を、言語として弁別する必要があるのですが、それを混同する連中が、まあ、いるわいるわ。。。
私の個人的な意見では、そうした、言語的弁別を行わない(怠惰で行わない・バカで行えない・意図的に行わない、などを含め)のは、その国の言語文化に対する冒涜だとしか思えないです、ね。。。
つまり、文化的知的に野蛮である証拠。
特に、Wangさんのように、言語に先鋭であらねばならぬ職業の人にとってはこれは致命的なことです。
言語に対する尊敬、言語文化に対する尊敬、その言語を使用する人たちへの尊敬がなければ、文化なんぞ理解できません。
そのためには、徹底した言語の弁別が必要となる。
折口なぞを読んで、こうしたことが分かりませんか?
最近、不勉強じゃないの?と、少し叱り気味。。。
これは メッセージ 8676 (gogai3000 さん)への返信です.
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