「涵養」・「沈着で冷静な行動」の意味
投稿者: piagnoni 投稿日時: 2004/08/05 07:55 投稿番号: [6796 / 66577]
>涵養が慣用になって、更に曖昧になっていく一面はないか。
法治国家では、裁判は公開される。
人治国家のように共産党指導部・幹部や長老、政府御用達のマスコミ幹部、国営企業の有力者などが密室で行う協議が指導というわけのわからない通達となって事態を収拾するやり方とはまったく違う。
本当の民主主義国では、反対意見は政府の中であれ、政党であれ、官僚であれ、企業であれ、マスコミであれ、国民の中であれ自由に発言できる。裁判についてももちろんである。密室で上から降ってくるご通達に慣らされている人治国の住民には理解できないだろうが、「涵養」→「慣用」→「曖昧」の恐れは世論という相互監視作用が働いて常に是正される。その結果、最近の中国ではとんと見られなくなった「寛容」という東洋的な精神の発露もわが国ではいまだに見られる。
>ここの書き込みを見る限り、「沈着にして冷静な行動」だといえるか?
ネットでの書き込みはどこの国でも似たり寄ったり。だからこそエキセントリックの中にある冷静さが貴重?(ちょっと自画自賛かな)
問題は、ネットでの書込みどおりの行動がネット以外の、ヴァーチャルでない実際の社会でも見られること。この点ではそれこそ日中でのスポーツ(サッカーなどは氷山の一角)における対応を見れば一目瞭然だろう。
「衿を正す」、「李下に冠を正さず」などという言葉は本家では死後と化したようだが、わが国では立派に生きていることを付け加えて、あなたのご心配への返答とする。
これは メッセージ 6784 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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