Re: まあ、パンダは
投稿者: pandajp169 投稿日時: 2008/01/27 11:33 投稿番号: [64768 / 66577]
>戦争を仕掛けたのは中国側だと書いたのに反証も出来ないのか。
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蜥蜴よ、頭が極端に悪すぎる。
日本は、中国を植民地支配下に企んでありとあらゆる謀略を講じた。
中国人なら、誰にでも、日本の蛮行を阻止し、中国から追い出す義務を持つ。
毛沢東は、あらゆる力と団結し、民族統一戦線を結成し、国民党と合作するのもしっかり、外国勢力を利用するのもしっかり。
引用>1914年 第一次世界大戦、日本参戦。青島攻撃、山東半島を占領
1915年 日本、中国に21か条要求、調印。
1918年 シべリア出兵
1919年 中国の反日「5.4運動」起こる
1928年 関東軍、張作霖を奉天(現・瀋陽)で爆殺
1931年 柳条湖事件(「満州」事変、9.18事変)。日本関東軍は約4か月で「満州」地域ほぼ全域を占領
1932年 日本、第一次上海事変起こす。「満州国」独立宣言(3月1日)。薄儀執政就任。国際連盟によるリットン調査団「満州国」を独立国と認めず。第一次武装移民団、大連港に入港
1933年 関東軍、熱河省を占領。日本、国際連盟脱退
1934年、日本は、天津で飛行場の建設で、2万人を爆弾投下で殺した。
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>都合のいい話だ。あとで俺は知らないととぼけているだけのことだ。日本は度重なる挑発にも隠忍自重し、戦争回避に努めていた。しかし毛沢東は日本を開戦に踏み切らせる必要があり、執拗に挑発し続けた(蒋介石はその片棒を担がされていただけだ)
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1937年 虚構橋事件(七・七事変)が発生し、停戦調停が成立した。
蒋介石が軍に忍耐に忍耐を求めて不戦の声明をラジオを通じて出した。
日本は、この停戦調停が成立した当日、華北派兵した。
日本は北京、天津を攻め込んだりして、
傀儡である日本同盟の保安団が28軍を阻止しないという口実をつけて、通州の保安団を爆撃した。
日本は、国際社会から非難を避けるがため、上海第一次事件を引き起こしたように、上海第二次事件を引き起こした。
その後、日本は、国際社会の調停を無視して、宣戦布告なしで、南京侵攻した。
>もし殺されたくなければ、日本軍に出頭すれば良かった。<<<
日本は国民党軍を捕虜にせず、全員を殺した。これは、南京には捕虜収容所がないことで裏付ける。
>さもなくば意喪失しているか、武器を本当に捨てたかなどは証明出来ない。投稿しない限り便衣兵だ。<<<
【南京城内の「便衣兵」とは、一般の兵士が逃げ場を失い、日本軍に捕獲されても殺されると考えて、軍服を脱いで、市民に紛れ込もうとしたものであった。ひとまずは命が助かりたいための処置であり、計画的に実行された形跡はない。また、実際に「便衣隊」としての交戦行為が行われた記録もない。】
武器を捨て手元に携帯しないの便衣兵を捕虜にすべし。
便衣兵と「ゲリラする便衣隊」との区別をしないで、殺したのがハーグ陸戦条約に違反した行為で、虐殺と看做す。
捕虜収容所の設立もしないことは、捕虜を取らない意を示す。
殺したから殺したことで、「軍と民間人の被害者が30万に達した」。
>良いことを教えてやろう。南京大虐殺が日本に対するカードになると教えたのは、日本社会党だ。
<<<
日本大虐殺を親世代からも聞いたこともあれば、、学校教育でも教えてもらった。
カードになるかどうかは、日本の態度にかかる。
なれるなら、カードとして使うのもよい。
>ただ、アクセス出来るかどうかが大きな問題だ。そうだろ、墓穴掘りのパンダ。<<<
中国人が情報を入手できない、知らないという発想で言い出して、
俺のことを小ばかに責めたトカゲは、俺に責任転嫁しようとしている。
日本人の反論に対して、中国語でそのすべてを反論してある。
詳細は、日本よりも詳しく、抗日記念館には当時の文献、物証も当然揃ってある。
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蜥蜴よ、頭が極端に悪すぎる。
日本は、中国を植民地支配下に企んでありとあらゆる謀略を講じた。
中国人なら、誰にでも、日本の蛮行を阻止し、中国から追い出す義務を持つ。
毛沢東は、あらゆる力と団結し、民族統一戦線を結成し、国民党と合作するのもしっかり、外国勢力を利用するのもしっかり。
引用>1914年 第一次世界大戦、日本参戦。青島攻撃、山東半島を占領
1915年 日本、中国に21か条要求、調印。
1918年 シべリア出兵
1919年 中国の反日「5.4運動」起こる
1928年 関東軍、張作霖を奉天(現・瀋陽)で爆殺
1931年 柳条湖事件(「満州」事変、9.18事変)。日本関東軍は約4か月で「満州」地域ほぼ全域を占領
1932年 日本、第一次上海事変起こす。「満州国」独立宣言(3月1日)。薄儀執政就任。国際連盟によるリットン調査団「満州国」を独立国と認めず。第一次武装移民団、大連港に入港
1933年 関東軍、熱河省を占領。日本、国際連盟脱退
1934年、日本は、天津で飛行場の建設で、2万人を爆弾投下で殺した。
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>都合のいい話だ。あとで俺は知らないととぼけているだけのことだ。日本は度重なる挑発にも隠忍自重し、戦争回避に努めていた。しかし毛沢東は日本を開戦に踏み切らせる必要があり、執拗に挑発し続けた(蒋介石はその片棒を担がされていただけだ)
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1937年 虚構橋事件(七・七事変)が発生し、停戦調停が成立した。
蒋介石が軍に忍耐に忍耐を求めて不戦の声明をラジオを通じて出した。
日本は、この停戦調停が成立した当日、華北派兵した。
日本は北京、天津を攻め込んだりして、
傀儡である日本同盟の保安団が28軍を阻止しないという口実をつけて、通州の保安団を爆撃した。
日本は、国際社会から非難を避けるがため、上海第一次事件を引き起こしたように、上海第二次事件を引き起こした。
その後、日本は、国際社会の調停を無視して、宣戦布告なしで、南京侵攻した。
>もし殺されたくなければ、日本軍に出頭すれば良かった。<<<
日本は国民党軍を捕虜にせず、全員を殺した。これは、南京には捕虜収容所がないことで裏付ける。
>さもなくば意喪失しているか、武器を本当に捨てたかなどは証明出来ない。投稿しない限り便衣兵だ。<<<
【南京城内の「便衣兵」とは、一般の兵士が逃げ場を失い、日本軍に捕獲されても殺されると考えて、軍服を脱いで、市民に紛れ込もうとしたものであった。ひとまずは命が助かりたいための処置であり、計画的に実行された形跡はない。また、実際に「便衣隊」としての交戦行為が行われた記録もない。】
武器を捨て手元に携帯しないの便衣兵を捕虜にすべし。
便衣兵と「ゲリラする便衣隊」との区別をしないで、殺したのがハーグ陸戦条約に違反した行為で、虐殺と看做す。
捕虜収容所の設立もしないことは、捕虜を取らない意を示す。
殺したから殺したことで、「軍と民間人の被害者が30万に達した」。
>良いことを教えてやろう。南京大虐殺が日本に対するカードになると教えたのは、日本社会党だ。
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日本大虐殺を親世代からも聞いたこともあれば、、学校教育でも教えてもらった。
カードになるかどうかは、日本の態度にかかる。
なれるなら、カードとして使うのもよい。
>ただ、アクセス出来るかどうかが大きな問題だ。そうだろ、墓穴掘りのパンダ。<<<
中国人が情報を入手できない、知らないという発想で言い出して、
俺のことを小ばかに責めたトカゲは、俺に責任転嫁しようとしている。
日本人の反論に対して、中国語でそのすべてを反論してある。
詳細は、日本よりも詳しく、抗日記念館には当時の文献、物証も当然揃ってある。
これは メッセージ 64762 (tokagenoheso さん)への返信です.
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