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Re: 証拠

投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2008/01/18 18:38 投稿番号: [64500 / 66577]
>1990年9月20日、日本の『朝日新聞』

翻訳:当時日本軍は南京を攻略後、幕府山の陽子江岸で大量な捕虜を虐殺したの報道。

(いわさ?いわき?の会社員が4年かかり調査、幕府山の陽子江岸に死者数は14777人か)<


>「目撃者によると日本軍は南京城に入って恐怖の統治が始まり。
入城後の数時間以内、金銀のお店及び街のお店の物を略奪した。
日本人は病院にも入り、看護婦の腕時計、万年筆等を略奪、病院の基本財産にも略奪された。
城内の住民の遺体が街の彼方此方に、陽子江岸の城門の入り口に遺体が山のように積んだ、高さは一メートル。車は遺体の上に走った。日本軍は捕まった中国兵士と警察を集めて街で処刑した。外国人にも襲撃と略奪された。」<


>歩兵66連隊Ⅰ大隊の戦闘詳報(12月13日)

上記の1〜3の方法で拡大します、読めるでしょう。

大体の内容は:捕虜の処分、第一第三第四各中隊の捕虜分配、刺殺の開始時間と終わり時間、第一中隊は当時の予定を変更、一気に監禁の捕虜を焼き殺す。<



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA

残虐行為について
日本軍は、南京への進撃中から諸種の残虐行為を行ったと言われている。その為、南京周辺の町村において、被害の報告が挙げられている。また、1937年12月13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の掃討でも、大規模な残虐行為が行われたと言われている(城内は主に第16師団(師団長:中島今朝吾)が掃討を行った)。

市民への虐殺
市民への虐殺については、そのことを直接指示する命令書は確認できないが、当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
被害者側である中国人の証言からも、理由もなく暴行を受けたり、家族や周辺の人々が殺害されたことが多く確認できる。
当時南京に残留して南京国際安全区委員長を務めていたジョン・ラーベは、安全区の警護のために残されていた警察官全員や発電所の技術者が、日本軍によって大量殺害されたことを記録に書き残している。
捕虜・投降兵の虐殺
第16師団長である中島今朝誤中将は、日記において、捕虜を取らず、殺害する方針であることを書いている。この方針に基づいて、南京城内外での掃討で、多くの捕虜や投降兵が殺害されたのではないかと見られている。
南京の北方に位置する幕府山では、山田支隊(第65連隊基幹、長・山田栴二少将)が捕虜約14,000名を殺害したと言われている。山田少将は、この処置は上部組織からの命令であったことを日記に書いている。
南京北部の下関では、捕虜が収容された後に殺害され長江に捨てられたことが、日本側、中国側、そして残留外国人の記録や証言に示されている。
第114師団第66連隊第1大隊の戦闘詳報では、旅団命令によって捕虜を殺害したことが記録されている。



  
Wikipediaの記載と中国の『侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館』の資料が一致してる、それでも馬鹿蜥蜴は「中国の捏造」と言えるか?


  
屑の蜥蜴野郎!


   

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