東京裁判は南京大虐殺を確認した事がある
投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2008/01/15 13:35 投稿番号: [64363 / 66577]
国際法廷と中国法廷の判決
日本軍国主義の南京大虐殺の残虐行為は、国際法に重大に違反している。戦後、極東国際軍事法廷と中国戦犯裁判軍事法廷は直ちにこの事件について裁判をおこなった。国際法廷の裁判の中で、当時南京にとどまり国際赤十字会の会長をつとめたアメリカの牧師マギー、南京安全区国際委員会の委員で金陵大学教授のベイツ、鼓楼病院の医師ウィルソン(Robert O. Wilson )、国際委員会総幹事のフィッチ(George A. Fitch )、金陵女子文理学院舎監の陳瑞芳女史、死体埋葬の責任者だった元中国慈善団体紅卍字会会長の許伝音博士などが出廷し、日本軍の残虐行為について証言した。
中国の幸いにも死を免れた被害者の伍長徳、尚徳義、梁廷芳、陳福宝等も出廷して証言をおこない、自らの受けた被害の事実を語った。裁判の結果は、「日本軍占領後の最初の6週間で、南京及びその付近で虐殺された一般市民と捕虜は、総数は20万人以上に達していた。この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれていない」「南京が占領された後1か月間に発生した強姦事件は2万件前後にのぼる」「被害者であろうと、彼女を守ろうとした家族であろうと、ただ少しでも抵抗・拒否をしようものなら、殺害という刑に処せられた。南京市内全域で、少女であろうと老婆であるとを問わず、多くの者が汚された。この強姦事件のうち、多くのものが変態的な錯乱した性行為であった。多くの婦人が強姦後さらに殺害され、その死体は切り刻まれた」「日本兵は一般市民に対し、自らの欲するあらゆる物の掠奪を始めた。価値のあるものが何も見つからないと、これを射殺した。非常に多くの住宅や商店が侵入され掠奪された。掠奪された物資はトラックで運び去られた。日本兵は店舗や倉庫を掠奪した後、これらに放火したことがたびたびあった。市の商業区の一区画一区画と相次いで焼き払われた。なんら理由らしいものもないのに、一般市民の住宅を兵は焼き払った。このような放火は、数日後になると、一貫した計画に従っているように思われ6週間も続いた。こうして全市の約3分の1が破壊された」とはっきりと認めた。
城外の地区については、判決書では「南京から200中国里(約66マイル)以内のすべての部落は、だいたい同じような状態にあった」と述べている。このため、被告人の1人の元中支那方面軍司令官の松井石根は責任を問われ、絞首刑が言い渡された。
中国戦犯裁判軍事法廷も自らその場に立ちのぞみ、幸運にも死を免れた証人1250余人を調査したが、彼らはみな血の涙が点々とついている証言を提供した。また、当時死体埋葬を中心になって行った慈善団体の責任者の具体的な証明と当時の死体埋葬の統計表、さらに傀儡南京市長の高冠吾が3000余りの無主孤魂の死体を合葬したところに立てられた碑文を手に入れた。そして、それぞれの合葬された場所にそって5か所の塚を発掘し、被害者の死骸や頭など数千体を発掘し、法医学で、刀で叩き割ったり、弾が当たったり、あるいは鈍器で殴られた傷跡がたくさんあることが明らかになり、鑑定書に記入され証拠とされた。さらにまた、当時の日本軍が戦の手柄をひけらかすために、自分で撮影した虐殺の写真15枚と実地で撮影された皆殺しの映画も、中国軍の勝利の後差し押さえて没収し、裏付けの証拠とした。
法廷は当時の中立国の外国人が組織した国際委員会の『南京安全区档案』に列挙してある日本軍の暴行、外国人記者のティンパリーが書いた『外国人の目撃した日本軍の暴行』(2)および当時南京防衛戦に参加した中国軍営長の郭岐が書いた『陥都血涙録』(3)を複写して突き合わせ、それぞれの記載されていることがことごとく一致していることを発見した。当時南京に留まったアメリカの教授のベイツとスミスも自分の目撃した実状に基づいて出廷し宣誓し証言した。このようにして出された結論は、「南京を連合攻撃した日本軍の各将校が野放しの兵士と共同して、手分けして虐殺、強姦、掠奪、財産破壊をおこなった事実は、すでに衆人の証明する確かな事実であり、隠蔽することは不可能である」。集団虐殺された者の総計は「19万人以上」で、分散して虐殺された者は「15万人以上」にのぼり、「被害総計は30数万人」であるとした。
ここで注意しなければならないのは、中国法廷が言っているのは「被害総数」であるが、国際法廷の判決では「この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれてはいない」と明確に指摘していることである。
日本軍国主義の南京大虐殺の残虐行為は、国際法に重大に違反している。戦後、極東国際軍事法廷と中国戦犯裁判軍事法廷は直ちにこの事件について裁判をおこなった。国際法廷の裁判の中で、当時南京にとどまり国際赤十字会の会長をつとめたアメリカの牧師マギー、南京安全区国際委員会の委員で金陵大学教授のベイツ、鼓楼病院の医師ウィルソン(Robert O. Wilson )、国際委員会総幹事のフィッチ(George A. Fitch )、金陵女子文理学院舎監の陳瑞芳女史、死体埋葬の責任者だった元中国慈善団体紅卍字会会長の許伝音博士などが出廷し、日本軍の残虐行為について証言した。
中国の幸いにも死を免れた被害者の伍長徳、尚徳義、梁廷芳、陳福宝等も出廷して証言をおこない、自らの受けた被害の事実を語った。裁判の結果は、「日本軍占領後の最初の6週間で、南京及びその付近で虐殺された一般市民と捕虜は、総数は20万人以上に達していた。この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれていない」「南京が占領された後1か月間に発生した強姦事件は2万件前後にのぼる」「被害者であろうと、彼女を守ろうとした家族であろうと、ただ少しでも抵抗・拒否をしようものなら、殺害という刑に処せられた。南京市内全域で、少女であろうと老婆であるとを問わず、多くの者が汚された。この強姦事件のうち、多くのものが変態的な錯乱した性行為であった。多くの婦人が強姦後さらに殺害され、その死体は切り刻まれた」「日本兵は一般市民に対し、自らの欲するあらゆる物の掠奪を始めた。価値のあるものが何も見つからないと、これを射殺した。非常に多くの住宅や商店が侵入され掠奪された。掠奪された物資はトラックで運び去られた。日本兵は店舗や倉庫を掠奪した後、これらに放火したことがたびたびあった。市の商業区の一区画一区画と相次いで焼き払われた。なんら理由らしいものもないのに、一般市民の住宅を兵は焼き払った。このような放火は、数日後になると、一貫した計画に従っているように思われ6週間も続いた。こうして全市の約3分の1が破壊された」とはっきりと認めた。
城外の地区については、判決書では「南京から200中国里(約66マイル)以内のすべての部落は、だいたい同じような状態にあった」と述べている。このため、被告人の1人の元中支那方面軍司令官の松井石根は責任を問われ、絞首刑が言い渡された。
中国戦犯裁判軍事法廷も自らその場に立ちのぞみ、幸運にも死を免れた証人1250余人を調査したが、彼らはみな血の涙が点々とついている証言を提供した。また、当時死体埋葬を中心になって行った慈善団体の責任者の具体的な証明と当時の死体埋葬の統計表、さらに傀儡南京市長の高冠吾が3000余りの無主孤魂の死体を合葬したところに立てられた碑文を手に入れた。そして、それぞれの合葬された場所にそって5か所の塚を発掘し、被害者の死骸や頭など数千体を発掘し、法医学で、刀で叩き割ったり、弾が当たったり、あるいは鈍器で殴られた傷跡がたくさんあることが明らかになり、鑑定書に記入され証拠とされた。さらにまた、当時の日本軍が戦の手柄をひけらかすために、自分で撮影した虐殺の写真15枚と実地で撮影された皆殺しの映画も、中国軍の勝利の後差し押さえて没収し、裏付けの証拠とした。
法廷は当時の中立国の外国人が組織した国際委員会の『南京安全区档案』に列挙してある日本軍の暴行、外国人記者のティンパリーが書いた『外国人の目撃した日本軍の暴行』(2)および当時南京防衛戦に参加した中国軍営長の郭岐が書いた『陥都血涙録』(3)を複写して突き合わせ、それぞれの記載されていることがことごとく一致していることを発見した。当時南京に留まったアメリカの教授のベイツとスミスも自分の目撃した実状に基づいて出廷し宣誓し証言した。このようにして出された結論は、「南京を連合攻撃した日本軍の各将校が野放しの兵士と共同して、手分けして虐殺、強姦、掠奪、財産破壊をおこなった事実は、すでに衆人の証明する確かな事実であり、隠蔽することは不可能である」。集団虐殺された者の総計は「19万人以上」で、分散して虐殺された者は「15万人以上」にのぼり、「被害総計は30数万人」であるとした。
ここで注意しなければならないのは、中国法廷が言っているのは「被害総数」であるが、国際法廷の判決では「この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれてはいない」と明確に指摘していることである。
これは メッセージ 64361 (tokyo_made_otearai_benki さん)への返信です.
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