東京裁判は南京大虐殺を確認した事が有る
投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2008/01/13 23:10 投稿番号: [64299 / 66577]
5.次々と新しい証拠が発見される
極東国際軍事法廷と中国法廷裁判以後、今日に至るまで、日本軍の南京での残虐行為に関する資料は次から次へと発見されている。たとえば、1984年南京市が、当時まだ健在な幸存者、目撃者の1700人の調査をおこない、その中の600人の証言を整理して出版した。これと当時に、南京で大量虐殺した第16師団長の中島今朝吾の陣中日記が日本で発見された。彼は日記の中で「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレ共・・・」と書いている。その日記の統計によれば、ただ12月13日のこの1日だけで、彼のこの師団は2万余人の虐殺をおこなっている。日記の中で言っている「捕虜ハセヌ方針ナレバ」とは、当然中島師団長の独断専行ではなく、上海派遣軍司令官の命令である。また、元日本軍の将兵と下級兵士の東史郎氏なども自分で南京の戦場で書いた手記や日記を公開しており、彼らはみな、自分自らの体験で南京大虐殺の真実の情況を説明している。
90年代になると、ドイツ連邦公文書館ポツダム支所で、元ドイツ駐南京大使館の外交文書が発見され、その中に南京大虐殺に関する記述があり、約200ページのものである。ドイツの外交官ローゼン(Georg Rosen )が本国政府にあてた報告書の中に次のようなことが書いてあった。1937年12月24日、彼が下関から乗船し上海へ発つとき、南京の郊外で「山のように積み重ねられた、一般市民の装いの人たちの死体」を見た。次の年の3月8日、彼はまた「郊外の下関港には大量虐殺に由来する約3万の死体が流れ着いた」のを見た。
続いて1991年、ニューヨークで当時南京に留まっていたマギー牧師が日本軍の耳目を避けて撮影した日本軍の暴行記録フィルムが発見された。約30分余りの長さのもので、それは今までに残されている唯一の生の動く画像である。
さらにまた、当時金陵女子文理学院校長のヴォートリン(Minnie Vautrin )女史の日記(4)、鼓楼病院のウィルソン医師の日記、南京安金区国際委員会総幹事のフィッチの日記が発見された。アメリカのイエール大学神学院図書館でまた、ベイツ文献(Bates' Papers )が発見された。1996年12月また、ラーべの孫娘のラインハルト夫人によって、元安金区国際委員会委員長でジーメンス洋行の支配人であったラーべの日記が公開された(5)。全部で2千余ページにのぼり、彼らが自分の眼で目撃した日本軍の南京での虐殺、放火、強姦、掠奪等の残虐行為が記述してある。
また、満鉄の公文書の中から関係資料が発見され、その中の埋葬死体の数字が、南京慈善団体の紅卍学会が埋葬した死体の数と一致している。とりわけ、アメリカで解禁された自本の電報の中から、日本軍が南京で30万人を虐殺したという記述が発見された。この電報は日本の外務省が1938年1月17日、日本の駐アメリカ大使館に打電したもので、発信人は当時の外務大臣の広田弘毅であった。
すべてのこれらの証拠はみな、再度極東国際軍事法廷と中国戦犯裁判軍事法廷のこの事件に対する判決の正確さをあらためて実証しているものである。
極東国際軍事法廷と中国法廷裁判以後、今日に至るまで、日本軍の南京での残虐行為に関する資料は次から次へと発見されている。たとえば、1984年南京市が、当時まだ健在な幸存者、目撃者の1700人の調査をおこない、その中の600人の証言を整理して出版した。これと当時に、南京で大量虐殺した第16師団長の中島今朝吾の陣中日記が日本で発見された。彼は日記の中で「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレ共・・・」と書いている。その日記の統計によれば、ただ12月13日のこの1日だけで、彼のこの師団は2万余人の虐殺をおこなっている。日記の中で言っている「捕虜ハセヌ方針ナレバ」とは、当然中島師団長の独断専行ではなく、上海派遣軍司令官の命令である。また、元日本軍の将兵と下級兵士の東史郎氏なども自分で南京の戦場で書いた手記や日記を公開しており、彼らはみな、自分自らの体験で南京大虐殺の真実の情況を説明している。
90年代になると、ドイツ連邦公文書館ポツダム支所で、元ドイツ駐南京大使館の外交文書が発見され、その中に南京大虐殺に関する記述があり、約200ページのものである。ドイツの外交官ローゼン(Georg Rosen )が本国政府にあてた報告書の中に次のようなことが書いてあった。1937年12月24日、彼が下関から乗船し上海へ発つとき、南京の郊外で「山のように積み重ねられた、一般市民の装いの人たちの死体」を見た。次の年の3月8日、彼はまた「郊外の下関港には大量虐殺に由来する約3万の死体が流れ着いた」のを見た。
続いて1991年、ニューヨークで当時南京に留まっていたマギー牧師が日本軍の耳目を避けて撮影した日本軍の暴行記録フィルムが発見された。約30分余りの長さのもので、それは今までに残されている唯一の生の動く画像である。
さらにまた、当時金陵女子文理学院校長のヴォートリン(Minnie Vautrin )女史の日記(4)、鼓楼病院のウィルソン医師の日記、南京安金区国際委員会総幹事のフィッチの日記が発見された。アメリカのイエール大学神学院図書館でまた、ベイツ文献(Bates' Papers )が発見された。1996年12月また、ラーべの孫娘のラインハルト夫人によって、元安金区国際委員会委員長でジーメンス洋行の支配人であったラーべの日記が公開された(5)。全部で2千余ページにのぼり、彼らが自分の眼で目撃した日本軍の南京での虐殺、放火、強姦、掠奪等の残虐行為が記述してある。
また、満鉄の公文書の中から関係資料が発見され、その中の埋葬死体の数字が、南京慈善団体の紅卍学会が埋葬した死体の数と一致している。とりわけ、アメリカで解禁された自本の電報の中から、日本軍が南京で30万人を虐殺したという記述が発見された。この電報は日本の外務省が1938年1月17日、日本の駐アメリカ大使館に打電したもので、発信人は当時の外務大臣の広田弘毅であった。
すべてのこれらの証拠はみな、再度極東国際軍事法廷と中国戦犯裁判軍事法廷のこの事件に対する判決の正確さをあらためて実証しているものである。
これは メッセージ 64298 (tokyo_made_otearai_benki さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/64299.html