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Re: おい、野生君か

投稿者: yaseinomiryoku 投稿日時: 2007/07/08 13:30 投稿番号: [62555 / 66577]
歎異抄など読んだこともないし、

「善人なおもて往生をとぐ、言わんや悪人をや」 という言葉は聞いても

よくわからなかったがこの機会に少し見てみました。

下に引用した意見は興味ある。

引用その一を見てなるほどと思った。

また、引用その二も、そういう面もあるだろう。

坊主達が時の権力に結びついて宗教の本質から離れ

腐り果ててしまったことに対する痛烈な批判かもしれない。


引用その一:
「自分を主観的に評価して善人としてしか評価できない者でさえ往生する。ならば、自らを悪人と評価できる者が往生できないはずが無いではないか?」

引用その二:
「親鸞は、世に言う「善人」の偽善を鋭く突いたのだと思う。しかも、権威・権限を持つ輩の「善人」ぶりをである。しかし、弥陀の本願は、かような偽善者をも、最後には救うという、だったら、なおのこと、世に言う「悪人」を救うのは当然だというだろう。
だとすると、親鸞は、今でいう 「体制への反逆児」ということになる。」


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「善人なおもて往生をとぐ、言わんや悪人をや」
学生時代、倫理社会の授業でこの言葉に触れ衝撃を受けた。
自分は善人であり続けたいと思っていたし、今でもそうだ。
ここで言う善人、悪人と言うのは客観的評価ではなく、主観的標なのではないか?と気付いたのは相当時間が経ってからだ。
「自分を主観的に評価して善人としてしか評価できない者でさえ往生する。ならば、自らを悪人と評価できる者が往生できないはずが無いではないか?」と言う意味で捉えている   。

 

親鸞は、教科書の世界では『悪人正機説』で知られていた。『歎異抄』の『第三条』に、『善人なをもって往生をとぐ、いわんや悪人をや』とある。高校時代、 僕は学校の教師からも聞いたし、母親からもこの親鸞の声を聞いた。「なんまんだ(南無阿弥陀仏)と一念ずれば、善人すら往生するではないか!だったら、な おさらのこと悪人は、極楽往生する」といった感覚であった。当時の僕は、ここで言う「悪人」を、「悪いことをした人。犯罪者」というレベルでしかイメージ 出来なかった。僕は「じゃ、悪いことをすればするほど、極楽に行けることになるやんか」と母に言ったことがある。しかし、同時に、そのころの僕は、「そう いえば、いったい善人とは何んなの?悪人とは・・・?」「善人と悪人の境は何か?」という素朴な疑問を感じたことは事実だった。今、歎異抄を一応読み終え たが、一言感想を述べよう。親鸞は、世に言う「善人」の偽善を鋭く突いたのだと思う。しかも、権威・権限を持つ輩の「善人」ぶりをである。しかし、弥陀の 本願は、かような偽善者をも、最後には救うという、だったら、なおのこと、世に言う「悪人」を救うのは当然だというだろう。だとすると、親鸞は、今でいう 「体制への反逆児」ということになる。




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