Re: 黒船事件の始末について
投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2006/11/08 12:51 投稿番号: [61243 / 66577]
白旗
嘉永6年の来航のとき、ペリーは国書と共に「白旗」2本と「もし開国要求を拒否するなら武力を行使するが、そのときは米国が勝つであろうから、この白旗を掲げて降伏せよ。」と書かれた手紙を渡して幕府を脅した話があり、白旗は源氏の印としか考えていなかった日本人の意識を変えるとともに、砲艦外交の典型として広がっている。
砲撃戦
ペリーの『日本遠征記』によると、2度の来航で100発以上の空砲を祝砲、礼砲、号砲の名目で撃っており、日本側史料には、これが大混乱を巻き起こしたことが記録されているが、いずれも被害は無く、実戦は行っていないはずである。ところが、1月16日に結集した「ポーハタン」以下七隻の内、蒸気船二隻と帆船三隻が安房国(千葉県)洲崎を砲撃した、と日本側の古文書にある。
これは メッセージ 61242 (tokyo_made_otearai_benki さん)への返信です.
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