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アヘン戦争>猿、sintyou5へ

投稿者: yaseinomiryoku 投稿日時: 2006/11/07 12:37 投稿番号: [61216 / 66577]
中国人である猿やsintyou5が説明した方が適しているのだが。

アヘン戦争

「その原因がかくも不正な戦争、かくも永続的に不名誉となる戦争を、私はかつて知らないし、読んだこともない」   とグラドストンに言わせた醜い戦争。

アヘンの中毒症状:

顔面が紅潮、発汗し、全身がやせ細り、皮膚は蒼白、眼光は鋭くなり、その他の眼症状、神経症状も出現。禁断症状になると、恐怖・不安・不眠に襲われ、ときに幻覚、手足の震えを訴え、最後は呼吸麻痺で死ぬ。


  イギリスは、清からの茶の輸入の急増に伴う銀の流出を食い止めるため、苦肉の策を生み出した。イギリス製の綿製品をインドに送り、インドからはアヘンを中国に密輸し、その対価として銀を中国からイギリスに送るという三角貿易である。

イギリスはアヘン持ち込み禁止の誓約書のサインを拒否し、戦争も辞さない構えを見せる。本国議会では対中国出兵について、保守党と自由党が激しい議論を戦わせた。

「その原因がかくも不正な戦争、かくも永続的に不名誉となる戦争を、私はかつて知らないし、読んだこともない。今私と意見を異にする紳士は、広東において栄光に満ちて翻った英国旗について言及された。だが、その旗こそは、悪名高い禁制品の密輸を保護するために翻ったのである。現在中国沿岸に掲揚されているようにしか、その旗が翻らないとすれば、われわれはまさにそれを見ただけで恐怖を覚え、戦慄せざるを得ないであろう。」

自由党のグラドストン(のちの首相)によるこのような反対演説にもかかわらず、271票対261票で出兵が決定された。こうしてアヘン戦争(1840〜42年)が始まったのである。

南京条約:   

この条約で清は多額の賠償金と香港の割譲、広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認め、
また、翌年の虎門寨追加条約では治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認などを余儀なくされた。
さらに同じ条件をアメリカやフランスにも認めざるを得なくなるのである。清朝は、まさにここから坂を転げ落ちるように衰退に向かっていく。

インドから中国へのアヘンの輸出はアヘン戦争後に急増し、絶対量でも1880年にピークに達する。

この事件は日本にも大きな衝撃を与えた。
今と同じように太平の夢から目覚めさす警鐘となったのかな。

 


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