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Re: 某氏の無知

投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2006/08/23 18:04 投稿番号: [58734 / 66577]
>清朝政府末期の「西洋事務の学習運動」は何の意識でしたか?<

大清帝国の末期、朝廷に直属する八旗の軍隊はすでに力なく、朝廷が頼りとしたのは李鴻章が育てた「北洋軍」。
この北洋軍は直隷総督・北洋大臣である李鴻章が育て上げた軍隊であり、朝廷の命令は受けない。北洋軍を太らせれば朝廷が危うくなるから、西太后も警戒して軍資金を出し渋る。

この時代、鉄道や大砲など西洋の道具や兵器を導入し、軍艦を買い、西洋の先進兵器を揃えれば、それで強国になれると考えた。
これが洋務運動。

しかし、李鴻章の北洋軍は日本海軍に敗れ、日清戦争は屈辱の敗北。
時の光緒帝は、西洋の政治思想を導入し、政治体制を改革しなければならないと考え、康有為、梁啓超などの政策集団を招き入れて改革に着手した。
日本の明治維新に倣って政治改革を進めようとした。
これを変法運動と言う。

戊戌(ぼじゅつ)の年、この政治改革は、結局、西太后の旧勢力と衝突することとなり、百日余りで頓挫・・(戊戌政変)。康有為などは国外に逃れ、光緒帝は幽閉されてしまった。

この時代の変法運動が、あのまま順調に進展していたなら、その後の中国はどうなっていただろう?
私には、19世紀末の「戊戌変法運動」と20世紀末の「天安門事件」がダブって見える。

背後で隠然たる力を持つ西太后、訒小平。
政治のトップでありながら失脚して幽閉された光緒帝、趙紫陽。
妥協を拒み、強引に改革を求めた20世紀の学生たち、康(有為)党の諸氏。

つぶさに眺めてみると、李鴻章も光緒帝も、また西太后も袁世凱も決して頑迷固陋の人物ではない。その時代の条件の中で格闘し、時に成功し、そして失敗した。
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