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Re: 日本憲法の補足

投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2006/08/07 11:55 投稿番号: [57965 / 66577]
1943年の初めて、アメリカ政府はすでに戦後の日本政治の改革問題を討論したことを開始しました。1945年10月6日、アメリカ国務院と国防部は共同でSWN55/3の書類を立案して、先に天皇制度と裕仁天皇の政治分離を決定したと、新しい憲法問題を考慮しました。

1946年1月に、憲法委員会は新しい憲法草案の原稿をマッカーサー将軍に呈上してくれました。この憲法修正の草案で別々である文句は古い明治憲法に修正して、「天皇は神聖に侵害できない」を「最高は侵害できない」に変えた、「天皇統帥の陸海軍」を「天皇統帥軍隊」に変えたと、実際上に古い明治憲法の翻刻でした。マッカーサー将軍はその草案を見て怒って、そして、マッカーサー将軍は東京同盟軍本部の民政局長のCourtney Whitney氏に日本憲法の起草した仕事を担当したように訓令しました。

アメリカの法律学者等などの指導にいて、やっと新しい憲法草案は制定されました。マッカーサーの助手の将軍はその新しい日本憲法を首相吉田茂に与えてくれた時に、首相吉田茂はすぐ新しい日本憲法を見詰めて血相を変えて「それは一回の革命に異なっている」と述べました。

1946年11月3日に、憲法草案の修正は正式に公表される。あとで、憲法草案は日本各地を配布されて討論されました。一ヶ月に人々は真剣に新しい日本憲法を討論して修正意見を提出した。政府は新聞社とラジオ放送局に大規模な教育番組を配列して、新しい日本憲法の要点を解釈して、問題に解答しました。1947年5月3日に、一千項の文字が修正されたことを経過して、《日本国憲法》は正式に有効して施行した。


>>マッカーサー将軍は東京同盟軍本部の民政局長のCourtney Whitney氏に日本憲法の起草した仕事を担当したように訓令しました。<<

*米国からの民政局長が日本憲法の制定を担当したのは事実でした。

補足部分

ホイットニー(Courtney Whitney氏)が指揮して作成された憲法草案は、1946年2月13日、ホイットニー(Courtney Whitney氏)自らの手で、麻布の外務大臣官邸において吉田茂と憲法担当国務大臣・松本烝治に手交。同時にホイットニー(Courtney Whitney氏)は、松本烝治から提出されていた憲法改正要綱(松本甲案)は、「自由と民主主義の文書として、最高司令官が受け容れることは全く不可能」との申し入れを行なった。松本烝治の回想によれば、もしこのGHQ草案を受け入れなければ「天皇の御身柄を保障することはできない」と言明したという。

日本政府は、手交された憲法草案に沿っての憲法改正方針を決定し、日本政府案(すなわちGHQ案の翻訳)を作成。1946年3月4日午前10時、日本政府とGHQは、いわゆる皇居の壕端に位置する第一生命ビル(旧日本軍東部軍管区司令部、千代田区有楽町)6階の民政局において、草案作成の責任者・ホイットニー(Courtney Whitney氏)臨席の下、草案(松本甲案)の協議を開始。日本政府がGHQ草案の日本語訳を用意していたことが判明した時点で、協議はGHQ草案の検討に移行した。午後6時ごろ、夜が明けるまでの間に確定草案(ファイナル・ドラフト)を仕上げたいとするGHQの意向により、協議は夜を徹して行なわれ、協議開始から32時間後の翌3月5日午後3時ごろに終了、確定草案が出来上がった。

協議の末に確定された日本国憲法草案を、日本政府は3月6日夜、憲法改正草案要綱として発表した。
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