莫談国事
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2006/03/12 14:16 投稿番号: [53365 / 66577]
昔、中国の街中には「茶館」があり、人々はここでお茶を飲みながらお喋りを楽しんでいた。生活の中での、どーでもいいような話を、ぺちゃくちゃ・・と。
「茶館」の壁には貼紙があり、そこには「莫談国事」と書いてあった。
ワシもあの時代に行ったことはないけれど、老舎のお芝居「茶館」の舞台では確かにそうなっていた。
「莫談国事」・・つまり、汝(なんじ)ら庶民の分際(ぶんざい)が、お国の政治を語るなど許さねーぞ・・と云うのだ。
政治とは、その道を専門とする「士大夫」のものであり、素人の庶民がお気楽に語るような代物ではなかった。「士大夫」にとっては政治を語り、国事を論じるのが当然の使命であり、義務であったろう。
自分を「士大夫」の端くれと自負する学生なればこそ、どの時代でも中国の学生は政治に首を突っ込んだ。
素人も語りたければ語っただろうが、その場合、身の破滅の覚悟が必要であった。それは今に始まった事ではなく、昔からそうだったのだ。
この点、「何を言ってもお咎めなし」のお気楽日本とは国情が違う。
あちらではインターネットの通信も、掲示板の議論も、政治や体制に関わるような微妙なサイトは抑制されているそうな。
そうとでもしなければ、恐らく政府を震撼させるような鋭い言論が飛び交い、政府批判の言論に晒されたなら、政府もその身が保てない。
中国では掲示板の威力は、それ程のものなのに、翻(ひるがえ)って眺めるに、日本の掲示板は、こりゃ、なんだい。
「中国トピ」・・見てみなさいよ。何が書いてあるのよ。
「日本政府、中国政府を震撼させるほどの鋭い事を書いてみなさい」とまでは言わんけれどもねえ・・
ねーちゃんのプライベートのお気持ちがどーのこーの、そんな話ばっかりで、意見の1つ、見解の二つも何もあったもんじゃない。
これを眺める中国の人に対して、わしゃ、ほんに恥ずかしいだよ。
日本では無知の素人、無恥の庶民が「対等に」お喋りしようと云うのだ。
それが日本的で素晴らしいのかも知れないが、日本の掲示板を眺めていると何やら、自分も含めてバカに見えてくる。
なーにが言論の自由だ。自由気ままに言っている、その言論の価値はいかほどなのか?
聞いてみたいね。
「茶館」の壁には貼紙があり、そこには「莫談国事」と書いてあった。
ワシもあの時代に行ったことはないけれど、老舎のお芝居「茶館」の舞台では確かにそうなっていた。
「莫談国事」・・つまり、汝(なんじ)ら庶民の分際(ぶんざい)が、お国の政治を語るなど許さねーぞ・・と云うのだ。
政治とは、その道を専門とする「士大夫」のものであり、素人の庶民がお気楽に語るような代物ではなかった。「士大夫」にとっては政治を語り、国事を論じるのが当然の使命であり、義務であったろう。
自分を「士大夫」の端くれと自負する学生なればこそ、どの時代でも中国の学生は政治に首を突っ込んだ。
素人も語りたければ語っただろうが、その場合、身の破滅の覚悟が必要であった。それは今に始まった事ではなく、昔からそうだったのだ。
この点、「何を言ってもお咎めなし」のお気楽日本とは国情が違う。
あちらではインターネットの通信も、掲示板の議論も、政治や体制に関わるような微妙なサイトは抑制されているそうな。
そうとでもしなければ、恐らく政府を震撼させるような鋭い言論が飛び交い、政府批判の言論に晒されたなら、政府もその身が保てない。
中国では掲示板の威力は、それ程のものなのに、翻(ひるがえ)って眺めるに、日本の掲示板は、こりゃ、なんだい。
「中国トピ」・・見てみなさいよ。何が書いてあるのよ。
「日本政府、中国政府を震撼させるほどの鋭い事を書いてみなさい」とまでは言わんけれどもねえ・・
ねーちゃんのプライベートのお気持ちがどーのこーの、そんな話ばっかりで、意見の1つ、見解の二つも何もあったもんじゃない。
これを眺める中国の人に対して、わしゃ、ほんに恥ずかしいだよ。
日本では無知の素人、無恥の庶民が「対等に」お喋りしようと云うのだ。
それが日本的で素晴らしいのかも知れないが、日本の掲示板を眺めていると何やら、自分も含めてバカに見えてくる。
なーにが言論の自由だ。自由気ままに言っている、その言論の価値はいかほどなのか?
聞いてみたいね。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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