香港とボスニアで李小龍氏の銅像を建設した
投稿者: tokyo_made_kuso_benki 投稿日時: 2005/11/27 15:30 投稿番号: [47159 / 66577]
ブルース・ジュンファン・リー(本名 李振藩 英名Bruce Junfan Lee, 1940年11月27日 - 1973年7月20日)はマーシャルアーティスト、俳優。
映画には芸名の李小龍で出演している。香港の舞台俳優である父李海泉の公演先であったアメリカ・サンフランシスコで生まれる。その後香港に帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演。幼少より、中国武術(海外では誤ってカンフーと同一視され以降カンフーとも呼ばれる。)の一派である詠春拳の葉問(イップマン)から手ほどきを受け、中国武術を身につける。
18 歳で単身渡米、シアトルに移る。高校卒業資格を得てワシントン大学で勉学に励むかたわら、自らの道場を開き指導を始める。同大学にて、哲学の講師もしていた。その頃同じ大学の生徒で、道場で指導をしていたリンダ・エメリーと結婚。その後大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do / JKD〈ジークンドー〉)を創始。
その後、米国における空手トーナメントの場においてJKDの演武をおこなう。それがTVプロデューサーの目を引き、1966年にTVシリーズ『グリーン・ホーネット』で準主役に抜擢。運転手のお仕着せに目だけを隠すマスク(そのマスクはその後キルビルでカトーマスクと呼ばれることになる)を付けた日系人のカトー役を演じ、人気を博したのをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などでゲスト出演を重ねる。
1970年に香港の映画プロデューサーと契約し、『ドラゴン怒りの鉄拳』など3本の映画に主演。香港の歴代興行記録を塗り替え、トップスターになる。1973年、ハリウッドとの合作映画『燃えよドラゴン』に主演するも、公開を目前にして、32歳の若さで急逝。当時『死亡遊戯』の製作途中であった。遺体はシアトルのレイクビュー墓地に埋葬される。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/47159.html