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日本兵の真実。

投稿者: aqualine2000jp 投稿日時: 2005/09/12 11:11 投稿番号: [43457 / 66577]
http://nippon7777.exblog.jp/
9月12日分より引用。



>平成17年9月11日(日)   産経新聞

命懸けの武士道

  八月中旬、横須賀から、海上自衛隊の護衛艦「いかづち」が、テロと戦う英海軍などの支援のため、インド洋に到着した。日本海軍の同名の駆逐艦「雷」が、第二次大戦中、英海軍艦艇の乗員四百二十六人を救助したことを知る人は少ない。

  元海自二尉で、日英の関係者に取材した惠隆之介(51)によると、救助はこうして始まった。

  昭和十七年三月、英駆逐艦「エンカウンター」など二隻は「ジャワ沖海戦」から離脱して航海中、日本海軍に撃沈され、乗員約四百六十人は二十四時間、漂流を続けていた。

  多数の救命筏(いかだ)を発見した「雷」は救難活動中の国際信号旗をマストに掲げ、艦長の工藤俊作少佐=当時(41)=は艦を停止するため「後進いっぱい」を下令する。

  前日には同じ海域で日本の輸送船が潜水艦の攻撃で沈没していた。停船さえ危険な状況で、工藤はさらに号令をかけた。

  「(周辺警戒用の)一番砲だけ残し、総員、敵溺者(できしゃ)救助用意」

  「雷」に泳ぎ着いた漂流将兵に艦上から竹ざおを差し出すと、相当数がつかんだはずの手を離し、沈んでいった。日本側水兵は「波の輪が静かに広がっていった。白い軍服の色が目にしみた。ほっとして、力尽きたのだろう」と振り返る。

  惨状を見かねた水兵が独断で飛び込み、英将兵の体にロープを巻いた。下士官が「命令違反だ。飛び込むな」と叫んだが、さらに二人が飛び込んだ。工藤は「重傷者は起重機を使い、網でつり上げろ」と命じた。

  「エンカウンター」の中尉だったサムエル・フォール(86)=後に駐スウェーデン大使=は「日本人は野蛮と聞いていたので、機銃掃射を受けるのではないかと恐怖を覚えた」と、惠に語った。

  二百二十人乗りの「雷」は、その倍の敵将兵を収容した。重油で真っ黒になった捕虜の体を貴重な真水でふき、服や食料を支給した。甲板に日よけの天幕を張ったため、周辺警戒用の一番砲も使えなくなった。

  戦時国際法の専門家で日本赤十字社の井上忠男参事(53)は「大戦中の戦闘海域で、これだけの偉業を完遂したのは世界の海軍史上、稀有(けう)な人道行為」と言い切る。

                  ◆◇◆

  「奇跡。夢ではないかと何度も手をつねった」というフォールら英軍士官に、工藤は流暢(りゅうちょう)な英語でこう話したという。「諸官は勇敢に戦われた。今や日本海軍のゲストである」

  工藤は明治三十四年一月、山形県屋代村(現高畠町)で生まれ、大正九年八月、海軍兵学校に入校した(海兵五十一期)。当時の海軍兵学校は英国人教師による英語や紳士としての教育が徹底された。工藤自身、在学中に英国人女性と文通したこともある。

  一方、当時海軍兵学校の校長だった鈴木貫太郎中将(終戦時の首相)は「武士道」にこだわり、日露戦争で敗軍の将ステッセルの扱いに際し、「武人の名誉を保たせよ」と言われた明治天皇の故事を生徒に語り継いだ。

  惠は「精神的に豊かな良き時代に、良き教育を受け、良き軍人に育った結果、奇跡の救助劇が生まれた」と語る。<


馬鹿の戯言
>初期の日本軍は、訓練の受けた殺人鬼であって<
はいったいナニを根拠にしているのか(笑)

洗脳教育恐るべし。
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