>>国家の崩壊
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2005/06/26 15:14 投稿番号: [37781 / 66577]
yasei7さん、こんにちは。レスありがとうございます。
中国の共産党は二重に崩壊していると考えております。
1つは、共産主義の実現と言う目標を捨てたが為に、彼等はもはや共産党ではないという意味です。
共産主義の実現を目指している間は、共産党で良いでしょうが、資本主義を取り入れ、平等社会の建設という目標を捨てた時点で共産主義政党として崩壊したという意味です。
2つ目は、政府とは国民の利益を守るために存在します。しかし、今の中共政府はそれに値しません。なぜなら、武力で国民を弾圧し、国民の労働力を外国に安売りすることで権力者の個人的繁栄を図っています。
モウタクトウの時代でさえ方法は間違っていたとしても国民の繁栄を求めていた節があります。しかし、今彼等が国民を犠牲にしてまで図っているのは自らの繁栄と存続のみです。
つまり、政府としても彼等はすでに崩壊しています。
>独裁体制を保ち中国を支配しているという意味では
共産党は崩壊しているということにはならないのではないでしょうか?
その意味で私も見かけ上中国はまだ存在していると言うのです。しかし、政府として国民をまとめているのではなく暴力と情報制御で国民の脱落を抑えているだけです。
どの時点で国家の崩壊と見なすかは私も言っているようにその立場により判断が変わるでしょう。共産党は崩壊していても中国はまだ崩壊はしていないでしょうね。でも、崩壊はとどめようのない段階まで進行しているとは思います。
>私は共産主義の「分かち合う社会」という基礎理念は、資本主義、市場経済以上に、
崇高なものと思います。
今共産主義を信奉している人たちはおそらくその理想を実現したいと思っている人たちで、いわば理想主義者なのでしょう。
共産主義とは究極の平等を目指す物で、能力に応じて働き、欲望に応じて取るという社会です。
おそらく人類の創世記は原始共産社会であったはずですが、それは人類の数が少なく、個人レベルでも今ほど多くを必要とせず、自然は有り余り、結局パイの大きさが無限大だったからです。
しかし、人類が進化してきたのはより良き生存を求めてきたからです。そこには必ず競争があります。競争があれば必ず格差が生じます。
競争は悪だ、格差は悪だと決めつけてしまえばその先の理論は無駄です。
人類が進化せず、数も増えず従って争うそう必要も生じなければ、共産制は今も続いていたでしょう。一部の高等類人猿は原始共産制と言えます。
ちなみに農業が始まってから財産という概念が生じ、財産の保全や獲得の必要から戦争が始まったと言われています。
つまり、人類の進化の過程で究極の競争である戦争は避けられず、それによる淘汰が人類を更に発展させたと思われます。
道徳や倫理と人類の進化は別物なのだという事を理解に入れておく必要があります。
人類に競争や格差が生ずるのは例えば住んでいる地域により文化の発展程度や内容に差が出るなど、きわめて当たり前であり、避けられない現象です。
文化に差があるように人間個人個人にも差があり、価値観の差を生じます。人間社会が複雑になればなるほど個人差が生まれてきますが、それは情報量に比例すると言っても良いでしょう。その多様な個人差がその社会を活性化し発展させるのです。
平等社会は発展出来ません。というより、衰退するしかありませんが、理由は下記の通りです。
究極の平等のためには格差を生じさせてはならず、つまり多様な価値観も人間が持ってはならないことになり、つまり情報も制限しなければなりません。
個人の個性を殺し情報を与えない、つまり教育を施さない必要があり、当然ながらそのような社会は閉塞し衰退します。
ポルポトは上記のような手段で共産主義社会の実現を目指し、中共政府はそれを支援しましたが、結果は御存知の通りです。
つまり、共産主義社会は理想とは別に、生きている人間の社会としては存在し得ないのです。
人類が存在し続ける限り、共産主義社会は実現しません。むしろ、社会保証制度や個性を活かした落ちこぼれのない社会の実現は目指すべきでしょう。
つまり、優しく余裕のある競争社会です。今はその過程にあり敗者にチャンスが与えられない、負けることは悪だという価値観がまだ支配的です。それが極端な学歴主義や少子化などに表れてきているのでしょうが、敗者復活のチャンスがあり、また負けることが必ずしも悪ではないが、ただし、努力にはそれなりの報いがあるという社会になってゆけばよいのでしょう。
社会全体が生産性を高め、絶対的に豊かになればそれもまた実現可能であり、共産主義社会よりよほ
中国の共産党は二重に崩壊していると考えております。
1つは、共産主義の実現と言う目標を捨てたが為に、彼等はもはや共産党ではないという意味です。
共産主義の実現を目指している間は、共産党で良いでしょうが、資本主義を取り入れ、平等社会の建設という目標を捨てた時点で共産主義政党として崩壊したという意味です。
2つ目は、政府とは国民の利益を守るために存在します。しかし、今の中共政府はそれに値しません。なぜなら、武力で国民を弾圧し、国民の労働力を外国に安売りすることで権力者の個人的繁栄を図っています。
モウタクトウの時代でさえ方法は間違っていたとしても国民の繁栄を求めていた節があります。しかし、今彼等が国民を犠牲にしてまで図っているのは自らの繁栄と存続のみです。
つまり、政府としても彼等はすでに崩壊しています。
>独裁体制を保ち中国を支配しているという意味では
共産党は崩壊しているということにはならないのではないでしょうか?
その意味で私も見かけ上中国はまだ存在していると言うのです。しかし、政府として国民をまとめているのではなく暴力と情報制御で国民の脱落を抑えているだけです。
どの時点で国家の崩壊と見なすかは私も言っているようにその立場により判断が変わるでしょう。共産党は崩壊していても中国はまだ崩壊はしていないでしょうね。でも、崩壊はとどめようのない段階まで進行しているとは思います。
>私は共産主義の「分かち合う社会」という基礎理念は、資本主義、市場経済以上に、
崇高なものと思います。
今共産主義を信奉している人たちはおそらくその理想を実現したいと思っている人たちで、いわば理想主義者なのでしょう。
共産主義とは究極の平等を目指す物で、能力に応じて働き、欲望に応じて取るという社会です。
おそらく人類の創世記は原始共産社会であったはずですが、それは人類の数が少なく、個人レベルでも今ほど多くを必要とせず、自然は有り余り、結局パイの大きさが無限大だったからです。
しかし、人類が進化してきたのはより良き生存を求めてきたからです。そこには必ず競争があります。競争があれば必ず格差が生じます。
競争は悪だ、格差は悪だと決めつけてしまえばその先の理論は無駄です。
人類が進化せず、数も増えず従って争うそう必要も生じなければ、共産制は今も続いていたでしょう。一部の高等類人猿は原始共産制と言えます。
ちなみに農業が始まってから財産という概念が生じ、財産の保全や獲得の必要から戦争が始まったと言われています。
つまり、人類の進化の過程で究極の競争である戦争は避けられず、それによる淘汰が人類を更に発展させたと思われます。
道徳や倫理と人類の進化は別物なのだという事を理解に入れておく必要があります。
人類に競争や格差が生ずるのは例えば住んでいる地域により文化の発展程度や内容に差が出るなど、きわめて当たり前であり、避けられない現象です。
文化に差があるように人間個人個人にも差があり、価値観の差を生じます。人間社会が複雑になればなるほど個人差が生まれてきますが、それは情報量に比例すると言っても良いでしょう。その多様な個人差がその社会を活性化し発展させるのです。
平等社会は発展出来ません。というより、衰退するしかありませんが、理由は下記の通りです。
究極の平等のためには格差を生じさせてはならず、つまり多様な価値観も人間が持ってはならないことになり、つまり情報も制限しなければなりません。
個人の個性を殺し情報を与えない、つまり教育を施さない必要があり、当然ながらそのような社会は閉塞し衰退します。
ポルポトは上記のような手段で共産主義社会の実現を目指し、中共政府はそれを支援しましたが、結果は御存知の通りです。
つまり、共産主義社会は理想とは別に、生きている人間の社会としては存在し得ないのです。
人類が存在し続ける限り、共産主義社会は実現しません。むしろ、社会保証制度や個性を活かした落ちこぼれのない社会の実現は目指すべきでしょう。
つまり、優しく余裕のある競争社会です。今はその過程にあり敗者にチャンスが与えられない、負けることは悪だという価値観がまだ支配的です。それが極端な学歴主義や少子化などに表れてきているのでしょうが、敗者復活のチャンスがあり、また負けることが必ずしも悪ではないが、ただし、努力にはそれなりの報いがあるという社会になってゆけばよいのでしょう。
社会全体が生産性を高め、絶対的に豊かになればそれもまた実現可能であり、共産主義社会よりよほ
これは メッセージ 37780 (yasei7 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/37781.html