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ドイツが「個人補償」 非常手段を選んだ訳

投稿者: suruganoturutarou 投稿日時: 2005/06/11 00:44 投稿番号: [36484 / 66577]



戦後処理に於いては国家賠償−−国家と国家との間の取り決めで、一切を終結させる−−の道が、昔からごく普通に行われてきた方法である。

日本は普通の戦争をして、敗北したのだから、当然この道を選んだ。

第一次世界大戦で敗北したドイツと同じ事で、ベルサイユ条約のドイツに「個人補償」などという発想や要求があっただろうか?

ところが第二次世界大戦後のドイツでは、日本と同じように国家賠償という普通のやり方で、全ての片をつけたかったのだが、出来ない事情が二つあった。
第一には、ドイツという国家が無くなってしまった。
第二には、「ナチスの犯罪」があまりの巨悪で酸鼻をきわめ、目を覆わんばかりの事態の後始末を前に、ドイツ人は論理的に、たちまち一斉に自己防衛をした。

ユダヤ人やジプシーなど「劣等民族」を地上から抹殺するという、戦争犯罪とは別個の理念の犯罪、「他に比較する事が出来ないほどの深刻な犯罪」(ヴァイッゼッカー前大統領の言)を犯していたからである。

従って、これほどの巨悪をドイツ国家の犯罪とするわけにはいかない。
ドイツ民族の歴史に内在した必然の結果と見なすわけにはいかない。
どこまでもヒトラー以下、当時の指導者の「個人」の犯罪であると、言い張るしかない。
ドイツ人もナチスの犠牲者であった、だから今の個々のドイツ人はナチスの犯罪に「道徳的責任を負う事は出来ないという。
しかし、他国と貿易などする以上、「政治的」責任は負わなくては、外国とはやっていけない。
そこで、そう言う詭弁を弄し、「個人」の犯罪に対しては、「国家賠償」は出来ない。
どこまでも「個人補償」でいくほかない、という戦後ドイツの苦肉の策、自他をめくらます自己防衛の特殊戦略が生まれた。


ナチスはドイツの歴史の必然的結果ではない。
ドイツ民族、ドイツ国家の全体が集団的に購わなくてはならない責任の対象ではない。
あれは、どこまでも個人の犯罪である。
そう言わなければ、戦後ドイツの国家体制は成り立たなかった。



初代ホイス大統領からヴァイツゼッカー前大統領を経て、ヘルツォーク大統領と、一貫してドイツ民族の「集団の罪」を否認する、この立場が貫かれている。

何処までも一部のナチス党幹部などによる「個人の罪」だというのだから、本当は賠償などしないで済ませたいのだろうが、それでは国が立ちいかないので、政治的責任をとると称して、(道義的責任ではない)、「個人補償」という非常手段を選んだ

ドイツは「国家賠償」を済ませた後に「個人補償」をしているのではない。
緊急手段として、逃げ道として後者を選んだのにすぎない。
ドイツは旧交戦国とは、まだ講和条約すら結んでいないのである。

「個人補償」が「国家賠償」よりも道徳的に優位に立つなどということは、あり得ない所以である。



戦争を繰り返した人類の長い歴史に於いて、敗戦国が旧交戦国の民衆に「個人補償」をするという例は、これまで全くない。
ドイツの民族的自己責任回避策が生んだ苦しい選択、例外中の例外である。

そう考えると、「ユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも円換算で総額約6兆円」というような言葉に、何故、日本人はあの時劣等感を覚える必要があったのであろう。
日本は、ユダヤ人虐殺のような民族絶滅(ホロコースト)の罪を犯していない。
従って、「個人補償」の必要もない。
「国家賠償」で、全ては終わっているというのは、法理論的にも、政治論的にも、道義論的にも、いまさら繰り返す必要もない自明の理である。
日本が例外中の例外たるドイツに、歩調を合わせる理由は全く存在していないからである。


もし、ドイツがナチスの管理売春下の外国人”慰安婦”にも「個人補償」をしているというなら、多少とも一定のリアリティが生じてくる。


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