黄文雄『反日教育を煽る中国の大罪』
投稿者: ginger_licorice 投稿日時: 2005/05/11 23:48 投稿番号: [33716 / 66577]
面白いです。読みながら、うん、うん、と何度も肯ける、お勧め必読本です。(^^♪
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日本人が作った近代産業国家モデル・満州
満州はかつて中国に存在したことのない自由の天地だった
『有史以来五〇〇〇年にわたって対立を続けてきたのが満州と中国である。政治的にも民族的にも対立しており、それは、騎馬民族と農耕民族の対立に象徴されている。
こうした背景が理解されず、日本と満州の関係はおおいに誤解されているところであるが、辛亥革命以後に満州人の国が中国に滅ぼされた以上、当時列強であった日本にとって、満州国のさいけんは道義的責任であったと言わねばならない。そして、その責任を全身全霊で果たしたということこそ、真の関係史である。
ここでまず私たちは、満州国と租界から歴史の真実を見なければならない。租界といえば、あたかも植民地の、搾取のシンボルであるかのように受け取られているが、果たして実際はというと、当時の中国人から見るとまさしく天国だったのである。彼らにとって人生最高の幸せとは、一生を租界で過ごすこと、あるいはその家族をはじめ子々孫々が租界に住むことであった。
租界がなぜそれほどまでに中国人の憧れになったかといえば、単に、当時の中国にあって常に内戦の影に怯えていなければならなかったというだけではない。中国の内戦で逃げ惑う民衆にとって、租界は逃げ込む場所、いわゆる駆け込み寺であるだけでなく、そこに行けば自由も財産も保証される唯一の場所。未だかつて中国には存在したことのない自由の天地だったのだ。
満州も同じである。そうでなければ、年間一〇〇万人を越える中国人がむずから満州に逃げ込むはずがない。言われるような日本軍の暴虐があったとしたら、誰がそんな地獄へわざわざ逃げ込むだろうか。中国人にとっては、憧れの地以外のなにものでもなかったのである。
というのも、もともとは貧しい農業地区だった満州は、日本によって大きく再生を遂げていたからだ。わずか十数年で、自動車も飛行機も生産する一大近代産業国家へと成長した、そこでの豊かな暮らしはもちろん、国の伸びる勢いを感じることは、みずからの可能性をも指し示すものと感じられたに違いない。
満州での近代化の経験は、その後の中国本部での日本軍占領地域で大いに活かされた。たとえば、日本経済の総力を結集して創設された「北支那開発株式会社」による主要交通運輸と港湾事業、通信事業、発送電事業等のインフラ整備や重工業の開発、「中支那振興株式会社」による近代工業の育成と、まさに一気に近代化を進めるものであった。
満州国が大東亜戦争の終結とともに崩壊したことは、中国のみならずアジアの諸民族すべてにとっての「夢の喪失」だった。というのは、満州国は「五族協和」、あるいは諸民族協和の地だが、実に短い期間であれほどの近代産業国家を作るのは、いかなる国家から見ても不可能に近いことだったからだ。
満州はドイツとほぼ同じ経度にあり寒冷な地であるが、面積からすればフランスとドイツをあわせた広さに匹敵する。そこに短期間で人口国家を作り、近代産業国家を作ったのである。もしそのまま続けば日本を上回る近代国家に育っていたはずだ。つまり、アジアはどこであっても日本人が手を加えれば、台湾、朝鮮、満州のように近代産業国家を作れるという夢が、大東亜戦争の終結とともに消えてしまった。アジアの人びとの夢も消えてしまったという悲劇である。』
黄文雄 著
『反日教育を煽る中国の大罪』より
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日本人が作った近代産業国家モデル・満州
満州はかつて中国に存在したことのない自由の天地だった
『有史以来五〇〇〇年にわたって対立を続けてきたのが満州と中国である。政治的にも民族的にも対立しており、それは、騎馬民族と農耕民族の対立に象徴されている。
こうした背景が理解されず、日本と満州の関係はおおいに誤解されているところであるが、辛亥革命以後に満州人の国が中国に滅ぼされた以上、当時列強であった日本にとって、満州国のさいけんは道義的責任であったと言わねばならない。そして、その責任を全身全霊で果たしたということこそ、真の関係史である。
ここでまず私たちは、満州国と租界から歴史の真実を見なければならない。租界といえば、あたかも植民地の、搾取のシンボルであるかのように受け取られているが、果たして実際はというと、当時の中国人から見るとまさしく天国だったのである。彼らにとって人生最高の幸せとは、一生を租界で過ごすこと、あるいはその家族をはじめ子々孫々が租界に住むことであった。
租界がなぜそれほどまでに中国人の憧れになったかといえば、単に、当時の中国にあって常に内戦の影に怯えていなければならなかったというだけではない。中国の内戦で逃げ惑う民衆にとって、租界は逃げ込む場所、いわゆる駆け込み寺であるだけでなく、そこに行けば自由も財産も保証される唯一の場所。未だかつて中国には存在したことのない自由の天地だったのだ。
満州も同じである。そうでなければ、年間一〇〇万人を越える中国人がむずから満州に逃げ込むはずがない。言われるような日本軍の暴虐があったとしたら、誰がそんな地獄へわざわざ逃げ込むだろうか。中国人にとっては、憧れの地以外のなにものでもなかったのである。
というのも、もともとは貧しい農業地区だった満州は、日本によって大きく再生を遂げていたからだ。わずか十数年で、自動車も飛行機も生産する一大近代産業国家へと成長した、そこでの豊かな暮らしはもちろん、国の伸びる勢いを感じることは、みずからの可能性をも指し示すものと感じられたに違いない。
満州での近代化の経験は、その後の中国本部での日本軍占領地域で大いに活かされた。たとえば、日本経済の総力を結集して創設された「北支那開発株式会社」による主要交通運輸と港湾事業、通信事業、発送電事業等のインフラ整備や重工業の開発、「中支那振興株式会社」による近代工業の育成と、まさに一気に近代化を進めるものであった。
満州国が大東亜戦争の終結とともに崩壊したことは、中国のみならずアジアの諸民族すべてにとっての「夢の喪失」だった。というのは、満州国は「五族協和」、あるいは諸民族協和の地だが、実に短い期間であれほどの近代産業国家を作るのは、いかなる国家から見ても不可能に近いことだったからだ。
満州はドイツとほぼ同じ経度にあり寒冷な地であるが、面積からすればフランスとドイツをあわせた広さに匹敵する。そこに短期間で人口国家を作り、近代産業国家を作ったのである。もしそのまま続けば日本を上回る近代国家に育っていたはずだ。つまり、アジアはどこであっても日本人が手を加えれば、台湾、朝鮮、満州のように近代産業国家を作れるという夢が、大東亜戦争の終結とともに消えてしまった。アジアの人びとの夢も消えてしまったという悲劇である。』
黄文雄 著
『反日教育を煽る中国の大罪』より
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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