kitaguninosaru1
投稿者: batsumberfarmer 投稿日時: 2005/04/29 18:53 投稿番号: [32685 / 66577]
そうだな、どうしても納得できないのはしょうがない。しかしね実際そうだったんだよ。
昭和天皇の独白録より・・・
『開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於る立憲君主として已むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何等異なる所はない。
終戦の際は、然し乍ら、之とは事情を異にし、廟議がまとまらず、鈴木総理は議論分裂のまヽその裁断を私に求めたのである。
そこで私は、国家、民族の為に私が是なりと信んずる所に依て、事を裁いたのである。
今から回顧すると、最初の私の考えは正しかった。陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時に於てすら無条件降伏に対し「クーデター」様のものが起つた位だから、若し開戦の閣議決定に対し私が「べトー」を行つたとしたらば、一体どうなつたであろうか。
日本が多年練成を積んだ陸海軍の精鋭を持ち乍ら愈ヽといふ時に蹶起を許さぬとしたらば、時のたつにつれて、段々石油は無くなって、艦隊は動けなくなる、・・・・・・
・・・・開戦当時に於る日本の将来の見透しは、斯くの如き有様であつたのだから、私が若し開戦の決定に対して「べトー」したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行なわれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつ〔た〕であろうと思ふ。』
当時の政権運営機構として「御前会議」というものがあった。これは、国家の最重要政策の意思決定機関であった。
政策は、
「国務官僚」が創案し、
「政府」がまとめる。さらに
「大本営政府連絡会議」があり、最後に「御前会議」がある。
当時の日本は、独裁主義国家ではなかったので、いろいろな会議を経て立法されていたのだ。
終戦の決定を強権的に陛下が行ったのは、即位以来最初で最後なのだよ。
これは メッセージ 32677 (kitaguninosaru1 さん)への返信です.
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