結局、何度問うても
投稿者: aqualine2000jp 投稿日時: 2005/03/23 09:09 投稿番号: [26485 / 66577]
*百人斬り(明らかな戦意高揚のデマ記事)
*「証拠」写真(証拠足り得ない捏造や改謬)
*殺害人数(確定する根拠なし)
これら「確証たりえない諸々」を展示してまで記念館を維持拡大する「意図」「必要性」は誰も説明してないのですよね。
「それが事実だ」とは言い張るが、その根拠の検証には応じない。
人数の件で問えばある程度までは根拠の出しあいだが、ある時点で「人数は問題ではない」。
写真の件ではこれまではずっと写真を提示するHPと反証のHPの張り合いだったが、某書籍の発売以後は「写真など撮れない」「写真は当てにならない」。
百人斬りも何度も残虐性の証拠としてあげられたが「日本刀の特性」や戦時の状況を説明すると「刀を何度も変えた」だの「競って殺すやり方がおかしい」だの、後付けの理由を出す。
(以上、ここでの発言に限らず)
「数字にこだわらない」と主張の御仁が記念館の「嘘数字」の過剰さを容認するのは、「結論ありき」だからとしか見えないのだが。
こっちもべつに数字にこだわるわけじゃなく、その「質」を問うているだけなんだがね。
何人死傷しようとも、戦略・戦術的に作戦として妥当な行為の結果なら「戦時に於いては」止むを得ないことなので。
そして、戦時に於いて妥当でないと「ある根拠によって」「判断された」から、「断罪」されたのだから。
「冤罪」を晴らすのは、遺族子孫にとって当然の権利ですよ。
「根拠」を検証することでね。
それを何故か「必死になって」「嘘を並べてまで」止めようとする方々がいますよね。
「操り人形」といくら遊んでもキリが無い事ははっきりしました。
「操り糸」を断ち、その上の「誰か」をどうにかしないといけないし、その「誰か」にナニか吹き込む「観客?」を「退席」させなければいけない。
人形が「自分で立つ」ことを。毎度わずかながら期待しつつ☆
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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