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投稿者: qoraboy 投稿日時: 2005/03/23 00:22 投稿番号: [26454 / 66577]
>キミの挙げた例は日本が清国の挑発に対し戦争に突入した事を証明した物と思うが。
http://www.mars.dti.ne.jp/~yotumoto/nisin-nitiro/nissin.html
解説してあげようか。
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天津条約の要旨は、
「もし、朝鮮国に内乱や重大な変事があった場合、両国はもしくはそのどちらが派兵するという必要が起こったとき、互いに公文書を往復しあって十分に了解をとること。乱が治まったときは直ちに撤兵すること」ということであった。
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日本と清国が、以上の契約を結んでよく、
日本がそれから清国を撃破した後で、半島を植民地支配下にして、条約違反となったのだ。
半島人民が日本による植民地支配に抵抗したことを、日本が、武力でもって制圧した以上、半島の侵略となったのだ。
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日本は、もしこれを許せば、清国に先手を打たれ朝鮮における日本の発言権は永久に消え去るであろうと、出兵した。
その根拠となったのが1882年(明治15年)、朝鮮李王朝との間に結ばれた「済物浦条約」であった。
「済物浦条約」は「日本公使館警備のため兵員若干をおき、これを護衛する」とあった。
1894年6月12日、早くも日本軍は1個旅団を仁川に上陸させた、この兵力を楯に「清国への従属関係を絶ち、さらに日本軍の力によって清国軍を駆逐してもらいたいという要請をする。」よう朝鮮政府に働きかけたが、朝鮮政府は清国が日本よりはるかに強国であると信じていたため、この要求を受け入れることをためらっていた。
しかし、7月25日ついに朝鮮政府はこの要求に屈し、清国兵の駆逐を要請する公文書を出した。
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日本は、清国に声をかけないで、秘密裏に李王朝と密約を締結した工作が天津条約に違反したことになる。
>>>
7月29日日本軍第1旅団は牙山・成歓の清国軍陣地を猛攻して平城へ敗走させた。
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日本は、清国に宣戦布告をせずに攻撃を仕掛けた。
確かに、
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一方日本海軍連合艦隊は7月23日佐世保港を出港し、第1遊撃隊が豊島沖で清国北洋艦隊と遭遇し、清国側が実弾を発砲し、海戦となる。(豊島沖海戦)
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清国が、日本に挑発したように見えるが、日本は、戦争まで発展させるのが、特に宣戦布告なしでは、清国を侵略したことになる。
冒頭に述べたように、日本は、半島から撤退しないことによって、半島への侵略にもなる。
>しかし、度重なる清国からの脅威に対し止むに止まれず立ち向かう決心をしたというだけだ。当時の装備を見ると分かる。
ドイツから輸入された「軍艦」で、中国の海軍力が大きくなったか見えるが、北洋軍師は李の傭兵で、清国の海軍とはいえ難い。特に、日本は、清国の腐敗を目の辺りにし、当時の清国の情勢から判断すれば、清国を簡単に打ち破れると分かったのだ。
よって、以下の考えには無理があるね。
↓
>ただ、日本海軍が清国海軍より強いと思っていたなどは結果論だよ。
>まあ、都合の良い返事ばかりせず南京虐殺の記事が当時の世界中どこかの新聞に載っていたかどうかの証明をすれば他のことは取り敢えず脇に置けるだろう。
連日の砲撃で、今の記者のように仕事に対する情熱のあまりない外国記者が逃げたのではなかったのか。記者がいたとしても、行動の自由とかが制限され、または彼らの撮った写真、資料などが日本軍に取り押さえられたのではなかったのか?
後で、貴方の述べたように、活字や写真が如何に重要であるかの考えが日本軍に既にあって、それは、日本記者が、安全区にいた難民へのやらせ写真を撮ったことが分かることだ。だよね?
何故、あるはずなのに、
外国人記者による、虐殺についての記事もなければ、南京市内の生活風景を描写する記事もなかったんだろう。
頭を廻せと言っているのだよ。
まあ、幸い、フィルム1本あって、当時、合成技術の無い中で、世界に配られたのだ。
>後出しのねつ造はいかんよ。本当に客観的に疑いようのない証拠があって南京で日本兵が30万もの非戦闘員を虐殺したことが事実ならホロコーストや中共政府の現在進行形の大量虐殺とならんでもっと世界的話題になっているだろうしね。
何回を言わせるんだよ。
30万人は、南京市街及び郊外の住民(非戦闘要員)と戦闘要員の合計を指しているのだよ。
勉強せよ。
http://www.mars.dti.ne.jp/~yotumoto/nisin-nitiro/nissin.html
解説してあげようか。
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天津条約の要旨は、
「もし、朝鮮国に内乱や重大な変事があった場合、両国はもしくはそのどちらが派兵するという必要が起こったとき、互いに公文書を往復しあって十分に了解をとること。乱が治まったときは直ちに撤兵すること」ということであった。
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日本と清国が、以上の契約を結んでよく、
日本がそれから清国を撃破した後で、半島を植民地支配下にして、条約違反となったのだ。
半島人民が日本による植民地支配に抵抗したことを、日本が、武力でもって制圧した以上、半島の侵略となったのだ。
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日本は、もしこれを許せば、清国に先手を打たれ朝鮮における日本の発言権は永久に消え去るであろうと、出兵した。
その根拠となったのが1882年(明治15年)、朝鮮李王朝との間に結ばれた「済物浦条約」であった。
「済物浦条約」は「日本公使館警備のため兵員若干をおき、これを護衛する」とあった。
1894年6月12日、早くも日本軍は1個旅団を仁川に上陸させた、この兵力を楯に「清国への従属関係を絶ち、さらに日本軍の力によって清国軍を駆逐してもらいたいという要請をする。」よう朝鮮政府に働きかけたが、朝鮮政府は清国が日本よりはるかに強国であると信じていたため、この要求を受け入れることをためらっていた。
しかし、7月25日ついに朝鮮政府はこの要求に屈し、清国兵の駆逐を要請する公文書を出した。
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日本は、清国に声をかけないで、秘密裏に李王朝と密約を締結した工作が天津条約に違反したことになる。
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7月29日日本軍第1旅団は牙山・成歓の清国軍陣地を猛攻して平城へ敗走させた。
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日本は、清国に宣戦布告をせずに攻撃を仕掛けた。
確かに、
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一方日本海軍連合艦隊は7月23日佐世保港を出港し、第1遊撃隊が豊島沖で清国北洋艦隊と遭遇し、清国側が実弾を発砲し、海戦となる。(豊島沖海戦)
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清国が、日本に挑発したように見えるが、日本は、戦争まで発展させるのが、特に宣戦布告なしでは、清国を侵略したことになる。
冒頭に述べたように、日本は、半島から撤退しないことによって、半島への侵略にもなる。
>しかし、度重なる清国からの脅威に対し止むに止まれず立ち向かう決心をしたというだけだ。当時の装備を見ると分かる。
ドイツから輸入された「軍艦」で、中国の海軍力が大きくなったか見えるが、北洋軍師は李の傭兵で、清国の海軍とはいえ難い。特に、日本は、清国の腐敗を目の辺りにし、当時の清国の情勢から判断すれば、清国を簡単に打ち破れると分かったのだ。
よって、以下の考えには無理があるね。
↓
>ただ、日本海軍が清国海軍より強いと思っていたなどは結果論だよ。
>まあ、都合の良い返事ばかりせず南京虐殺の記事が当時の世界中どこかの新聞に載っていたかどうかの証明をすれば他のことは取り敢えず脇に置けるだろう。
連日の砲撃で、今の記者のように仕事に対する情熱のあまりない外国記者が逃げたのではなかったのか。記者がいたとしても、行動の自由とかが制限され、または彼らの撮った写真、資料などが日本軍に取り押さえられたのではなかったのか?
後で、貴方の述べたように、活字や写真が如何に重要であるかの考えが日本軍に既にあって、それは、日本記者が、安全区にいた難民へのやらせ写真を撮ったことが分かることだ。だよね?
何故、あるはずなのに、
外国人記者による、虐殺についての記事もなければ、南京市内の生活風景を描写する記事もなかったんだろう。
頭を廻せと言っているのだよ。
まあ、幸い、フィルム1本あって、当時、合成技術の無い中で、世界に配られたのだ。
>後出しのねつ造はいかんよ。本当に客観的に疑いようのない証拠があって南京で日本兵が30万もの非戦闘員を虐殺したことが事実ならホロコーストや中共政府の現在進行形の大量虐殺とならんでもっと世界的話題になっているだろうしね。
何回を言わせるんだよ。
30万人は、南京市街及び郊外の住民(非戦闘要員)と戦闘要員の合計を指しているのだよ。
勉強せよ。
これは メッセージ 26341 (tokagenoheso さん)への返信です.
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