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れ:①>れ:>れ: >その③

投稿者: kon_do_i 投稿日時: 2005/03/07 20:54 投稿番号: [25619 / 66577]
>>私、言いましたね、
日本の戦争犯罪は見当たらないと(開戦根拠も提示しています)<<

これに対し、何故【台湾問題の再燃】が出て来るのですか?
②>れ:>れ: >その③も同様


以下、ご参考下さい


抜粋:

征韓論の台頭と台湾出兵

日本は幕末期に西洋11カ国と条約を結んでいながら、近隣の中国・朝鮮とは正式国交を締結してはいなかった。
明治維新ののち新政府は朝鮮との修交を図ろうとし、明治元年12月   対馬藩主・宋義達に命じて書を朝鮮に送ったが、時の摂政である大院君は鎖国主義を採って日本の要求を拒んだ。
なおも政府は朝鮮との修交を望んで外交的交渉を重ねるも常に非協調的な態度で我に対した。
このため朝鮮の無礼を許し難いとする征韓論が巻き起こり、のちの西南の役に繋がった。
だが当面の日本にとっては半島問題よりも北方蝦夷地での対ロシア問題の方が重要であり、何より不平等条約の改正が国策として最重要課題であった。

明治4年11月   琉球の民69名が台湾南端地方に漂着し、そのうち54名が生蕃(土民)のため虐殺され、3名は溺死、12名のみが辛うじて逃れ去った。
また明治6年3月には備中・岡山の民4名が台湾東南岸に漂着して略奪される事件が起こった。
これを受けて政府は、外務卿副島種臣を清国に派遣し談判させたところ清国は、台湾は清国の領域ではなく、化外の民であり関知するところではない、として我が抗議には応じなかった。
そのため明治7年4月4日   政府は陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督に任じ、陸軍少将谷干城、海軍少将赤松則良以下3658名を以って出征の軍を台湾に送った。
酷熱と病魔と戦いつつ生蕃の本拠を衝き、相次いで敵を降しついに台湾全島を平定した。
清国は日本の出兵を非難し両国の間は険悪となったが、英仏の調停によって清国は日本の出兵を義挙と認めた。
我が国は台湾領有は意図せず、全軍を撤収後12月下旬に帝都に凱旋した。

本戦役の日本軍の損害は、戦死12、戦傷17、戦病死531であった。

抜粋ここまで


ということです

よって侵略とはならず、戦争犯罪は見受けられない


ゆめの様ご指摘の通りでもございますし、私自身彼女に同意致すところです
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