>易の八卦を重ねたものと一致する。
投稿者: panda168jp 投稿日時: 2005/01/08 19:36 投稿番号: [21082 / 66577]
【勝手に掲載、作者不明】
旧掲示板に載せたけど、こっちしか見ない人も出てきたので。こっちにも。
ぼくみたいな言語学をやったものにとって世界中の言葉はすべて方言だと見る。(のはぼくだけかな?w)
で、たとえば中世ドイツ語を勉強していたときのこと。トリスタンとイゾルデを中世ドイツ語で読んだ。ややこしんだこれが。いやぎゃくかな?ややこしくないから解らなかったりする。あーいうのは嫌いだなぁ〜といいつつ、好きで勉強したりしてる。
好きと嫌いがないまぜに同居している。
この点に着目したのが漢字だ。こういうと驚くかもしれないが、漢字1字の中にすでに反対の意味が内包されているものは少なくない。
それは何故か、ぼくは次のように考える。
宋代の朱子はその「易学啓蒙」に「道を大極となす。これ両儀を生ず」とある。儀とはモデルのことであり、実質的には極(pole)のことだ。これを陰陽(おんみょう)という。さらに陰極まりて陽となり、陽極まりて陰となるとはすでに4000年前にわかっていた。「易」とはトカゲの肌の模様をイメージしたもので「change」のことである。
プリンストン大学にホイラー教授という人がいる。「われわれの知っている宇宙にはもうひとつの宇宙が抱き合っている」という。朱子の言葉と同じことなのである。陽の宇宙と陰の宇宙を想定する複合宇宙説だ。
対立概念としての陰陽だけでなく、陽の中に陰があり陰の中に陽があるとも主張する。おどろくべきことである。
かのライプニッツが古代中国の大極図を見せられたとき腰を抜かすほど驚いた。それは何故か。彼が数学としての2進法のモデルを発案したそのとおりのレイアウトで表現されていたからである。その一つ一つを「八卦」(はっけではなくはっかと読む)当たるも八卦、当たらずも八卦というあの八卦である。
いや驚くのはまだ早い。
極を持たない(+−あるいは陰陽のない)モノポールというものの存在を懸命に探っている学者がいる。発見されれば21世紀最大の発見になるだろう。それって易でいうところの大極のことではないか。
まだあるぞ。最近になってわかったことだが、DNAとよく人は口にする。実はRNAというのがある。高校の生物で習う。この分子構造はDNAの一部が数種の塩基というものを通してコピーされたものだ。この取り出し方がトリプレックス構造といって、易の八卦を重ねたものと一致する。
八卦を重ねて占うの易だ。占うという字はトと口から構成されているがトとは模様、レイアウトのことであり口とはそれにつけられた言葉(説明)のことだ。
これを知った現代の学者はそれこそあいた口がふさがらなかったのである。
さらに驚くことがある。五行である。欧米の科学者が盛んに研究している。何故か。宇宙を5のエレメントに分けている点であることとそのエレメント相互の関係を好ましい関係(相生:そうじょう)、好ましい関係(相剋:しょうこく)、どちらでもない関係)比和:ひわ)と明確になっていることである。現代物理学がいまだ四行説であって、第五エレメントの存在も取りざたされてはいるけれども一向にはっきりせず、ましてや相互関係についてはまったくわかっていないからなのである。
あぁ、「陰陽五行説ね」などと言ってわかったつもりになってはいけない。その辺の紋切り型の事典の説明だけ聞きかじって知ったつもりになるより何も知らないことのほうがはるかに上等なのだ。
奈良・平安の陰陽師のいかがわしさや、江戸の素人を煙に巻くような衒学的易占などを見てつまづいてはいけない。
モノを知ろうとするとき、既存の知識はかえって邪魔だ。人が成長するとは何かを身につけることではなく、捨て去ることだと言い換えてもいいかもしれない。
街角で易者が筮竹を扱っているのを見たことがあるだろうか。あの筮竹、50本あるのだが、まずその中から1本抜き出して前に立てる。そして残りを左右両手でパッと分割するところから始まる。
前に立てた1本が大極であり、分割されたものが両儀(易占では天地:乾坤[けんこん] ともいう)なのである。
街角の怪しげな易者や占い師を見て易や占というのものを誤解してはならない。その誤解によって好き嫌いが生じ、信じる信じないのレベルに留まっているのがこの世なのである。
事、これに限らず他事においても同様であるのは皆さんご存知のとおりである。
旧掲示板に載せたけど、こっちしか見ない人も出てきたので。こっちにも。
ぼくみたいな言語学をやったものにとって世界中の言葉はすべて方言だと見る。(のはぼくだけかな?w)
で、たとえば中世ドイツ語を勉強していたときのこと。トリスタンとイゾルデを中世ドイツ語で読んだ。ややこしんだこれが。いやぎゃくかな?ややこしくないから解らなかったりする。あーいうのは嫌いだなぁ〜といいつつ、好きで勉強したりしてる。
好きと嫌いがないまぜに同居している。
この点に着目したのが漢字だ。こういうと驚くかもしれないが、漢字1字の中にすでに反対の意味が内包されているものは少なくない。
それは何故か、ぼくは次のように考える。
宋代の朱子はその「易学啓蒙」に「道を大極となす。これ両儀を生ず」とある。儀とはモデルのことであり、実質的には極(pole)のことだ。これを陰陽(おんみょう)という。さらに陰極まりて陽となり、陽極まりて陰となるとはすでに4000年前にわかっていた。「易」とはトカゲの肌の模様をイメージしたもので「change」のことである。
プリンストン大学にホイラー教授という人がいる。「われわれの知っている宇宙にはもうひとつの宇宙が抱き合っている」という。朱子の言葉と同じことなのである。陽の宇宙と陰の宇宙を想定する複合宇宙説だ。
対立概念としての陰陽だけでなく、陽の中に陰があり陰の中に陽があるとも主張する。おどろくべきことである。
かのライプニッツが古代中国の大極図を見せられたとき腰を抜かすほど驚いた。それは何故か。彼が数学としての2進法のモデルを発案したそのとおりのレイアウトで表現されていたからである。その一つ一つを「八卦」(はっけではなくはっかと読む)当たるも八卦、当たらずも八卦というあの八卦である。
いや驚くのはまだ早い。
極を持たない(+−あるいは陰陽のない)モノポールというものの存在を懸命に探っている学者がいる。発見されれば21世紀最大の発見になるだろう。それって易でいうところの大極のことではないか。
まだあるぞ。最近になってわかったことだが、DNAとよく人は口にする。実はRNAというのがある。高校の生物で習う。この分子構造はDNAの一部が数種の塩基というものを通してコピーされたものだ。この取り出し方がトリプレックス構造といって、易の八卦を重ねたものと一致する。
八卦を重ねて占うの易だ。占うという字はトと口から構成されているがトとは模様、レイアウトのことであり口とはそれにつけられた言葉(説明)のことだ。
これを知った現代の学者はそれこそあいた口がふさがらなかったのである。
さらに驚くことがある。五行である。欧米の科学者が盛んに研究している。何故か。宇宙を5のエレメントに分けている点であることとそのエレメント相互の関係を好ましい関係(相生:そうじょう)、好ましい関係(相剋:しょうこく)、どちらでもない関係)比和:ひわ)と明確になっていることである。現代物理学がいまだ四行説であって、第五エレメントの存在も取りざたされてはいるけれども一向にはっきりせず、ましてや相互関係についてはまったくわかっていないからなのである。
あぁ、「陰陽五行説ね」などと言ってわかったつもりになってはいけない。その辺の紋切り型の事典の説明だけ聞きかじって知ったつもりになるより何も知らないことのほうがはるかに上等なのだ。
奈良・平安の陰陽師のいかがわしさや、江戸の素人を煙に巻くような衒学的易占などを見てつまづいてはいけない。
モノを知ろうとするとき、既存の知識はかえって邪魔だ。人が成長するとは何かを身につけることではなく、捨て去ることだと言い換えてもいいかもしれない。
街角で易者が筮竹を扱っているのを見たことがあるだろうか。あの筮竹、50本あるのだが、まずその中から1本抜き出して前に立てる。そして残りを左右両手でパッと分割するところから始まる。
前に立てた1本が大極であり、分割されたものが両儀(易占では天地:乾坤[けんこん] ともいう)なのである。
街角の怪しげな易者や占い師を見て易や占というのものを誤解してはならない。その誤解によって好き嫌いが生じ、信じる信じないのレベルに留まっているのがこの世なのである。
事、これに限らず他事においても同様であるのは皆さんご存知のとおりである。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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