まとまらないが取り急ぎ>jm_s様
投稿者: aqualine2000jp 投稿日時: 2004/12/16 14:14 投稿番号: [18391 / 66577]
「妄言」というからには、その根拠を問いただし、理論的に否定しなければ話になりませんよ。
今、日本で「日本の再検証」をしている方々は、「サヨク及び中韓朝」の納得する教科書を使って「教育」され、それに疑問を感じ、教育外の資料を調べ、日本の歴史を再認識にいたる、
「教育を疑った」方々がほとんどです。
そして最近のことですが、アメリカのテレビで、戦時のことを特集するに当たり、これまでの論調を改め、「日本の行動への評価」を示す論調であったといいます。
開戦日の大統領の演説もそうです。
これに先んじて、なぜ上記の日本人がそのような認識を得たかというと、「海外の論調の翻訳やその紹介」に、「日本再認識」というモノがあったからです。
東京裁判の関係者の事後談などもあります。
どれが絶対的な真実で、それのみが正しいとは断言しません。
ただ、どうも、中国側の方々は、教えられたことを信じ(ここまでは、良い)教えられたことに反することは「一切認めない」(ここ重要)方が多いようです。
事実はひとつだが、解釈は多様。
書籍でも記録でも、「日本が悪」の根拠となるものもあれば、「日本開戦止む無し」の根拠となるものもある。
それぞれが筋を通しそれぞれの立場でものを言うことは止められない。
それ自体はお互い非難すべきではない。
しかし、反対の立場に限らず、ある方の発言が不当と感じ、その提示された根拠に矛盾や疑問があれば、疑問の声をあげ、問いただすのも非難されることでは無いのではないか?
「従来」日本国内においても、先の戦争は日本が悪であり、反省が必要というものだった。
そこに疑問が生じ、再検証の結果、そこまでいう必要はなく、かえって誇りを持つべき点もあるという論調が台頭してきた。
記録や事実の見直しにより、旧来の価値観の持つ矛盾や不当性も明らかになりつつある。
ひとつはアメリカの恣意的なもの、もうひとつはサヨク勢力の影響。
それらが根強い原因は、やはり日本人自身の、「戦争への反省」。
卑屈になりすぎていた。
>」「国際社会で認めた」で彼の「正論」の材料として、又は、「検証無く決め付け」+「瞑想」+「妄言」、ワンパターン<
おや?これは、お互い様じゃないですか?
前に指摘しましたが、monpa氏は、そういう決め付けの「中国側のパターン」をあえてとって登場したようですよ?
その決め付けが、何を根拠にしているか提示せよ、と迫るべきではないでしょうか?
そして、氏にそれを迫るなら、「中国側」の方が同様の「決めつけ」を行っていたら、たしなめるべきではないですか?
自らの立場や教育、常識を「まず疑う」ところから考え、違う立場を「容認」しないと、話も進まない、相互理解もできない。
「日本を悪」(であった)と談じ、それを支持し続けるのも良い。
ただし、その論拠を検証し、自らにその瑕疵はないかを自省することは必要では無いですか?同じ瑕疵が自らにあるのに相手だけを責めるのは不当ではないですか?
monpa氏の「断言」は、氏登場以前の(登場以降も)中国側の方の高圧的な断定的な態度のパロディーとも思えます。
>>monpa氏の発言に立腹するなら、これまでの中国側の日本に対する「決めつけ」を考え直すべきだと思います。<
なぜ中国側に考え直すべき必要がある?其方こそではないか?<
戦後、日本はず〜っと「決め付けられ」たままだったんですよ。
それが事実の再検証で「見直されてきた。
これは国内より、海外のほうが早かった。
「中国の見解」がすべて「正しい」と妄信するなら、これ以上のお話は無駄でしょうね。
見直すつもりも無い、と言うのなら。
前にもちょっと言ったが、
「自省無き者の意見は軽んじられる」
事実は、
「戦争があった」
そして日本側には日本側の、中国側には中国側の事情と解釈がある。
善とか悪とかを断ずることはできない。
そこにしきりに「反省」や「賠償」を持ち出されることが「不快」であり「不当」だと、近年ようやく言えるようになった、ということ。
日本が悪と言いたいならそれでも良いが、その論拠やその根拠を見直し、真に国際的にはどのような見解か、また、自国に対してはどのような評価があるか、現在の政府の言動はどうか、などを、よく検証検討して主張されることを希望してます。
それぞれの各論は、かなり議論し尽くされてるんで、過去ログ見てください。
ワタクシもたま〜に見返しますが\xA1
今、日本で「日本の再検証」をしている方々は、「サヨク及び中韓朝」の納得する教科書を使って「教育」され、それに疑問を感じ、教育外の資料を調べ、日本の歴史を再認識にいたる、
「教育を疑った」方々がほとんどです。
そして最近のことですが、アメリカのテレビで、戦時のことを特集するに当たり、これまでの論調を改め、「日本の行動への評価」を示す論調であったといいます。
開戦日の大統領の演説もそうです。
これに先んじて、なぜ上記の日本人がそのような認識を得たかというと、「海外の論調の翻訳やその紹介」に、「日本再認識」というモノがあったからです。
東京裁判の関係者の事後談などもあります。
どれが絶対的な真実で、それのみが正しいとは断言しません。
ただ、どうも、中国側の方々は、教えられたことを信じ(ここまでは、良い)教えられたことに反することは「一切認めない」(ここ重要)方が多いようです。
事実はひとつだが、解釈は多様。
書籍でも記録でも、「日本が悪」の根拠となるものもあれば、「日本開戦止む無し」の根拠となるものもある。
それぞれが筋を通しそれぞれの立場でものを言うことは止められない。
それ自体はお互い非難すべきではない。
しかし、反対の立場に限らず、ある方の発言が不当と感じ、その提示された根拠に矛盾や疑問があれば、疑問の声をあげ、問いただすのも非難されることでは無いのではないか?
「従来」日本国内においても、先の戦争は日本が悪であり、反省が必要というものだった。
そこに疑問が生じ、再検証の結果、そこまでいう必要はなく、かえって誇りを持つべき点もあるという論調が台頭してきた。
記録や事実の見直しにより、旧来の価値観の持つ矛盾や不当性も明らかになりつつある。
ひとつはアメリカの恣意的なもの、もうひとつはサヨク勢力の影響。
それらが根強い原因は、やはり日本人自身の、「戦争への反省」。
卑屈になりすぎていた。
>」「国際社会で認めた」で彼の「正論」の材料として、又は、「検証無く決め付け」+「瞑想」+「妄言」、ワンパターン<
おや?これは、お互い様じゃないですか?
前に指摘しましたが、monpa氏は、そういう決め付けの「中国側のパターン」をあえてとって登場したようですよ?
その決め付けが、何を根拠にしているか提示せよ、と迫るべきではないでしょうか?
そして、氏にそれを迫るなら、「中国側」の方が同様の「決めつけ」を行っていたら、たしなめるべきではないですか?
自らの立場や教育、常識を「まず疑う」ところから考え、違う立場を「容認」しないと、話も進まない、相互理解もできない。
「日本を悪」(であった)と談じ、それを支持し続けるのも良い。
ただし、その論拠を検証し、自らにその瑕疵はないかを自省することは必要では無いですか?同じ瑕疵が自らにあるのに相手だけを責めるのは不当ではないですか?
monpa氏の「断言」は、氏登場以前の(登場以降も)中国側の方の高圧的な断定的な態度のパロディーとも思えます。
>>monpa氏の発言に立腹するなら、これまでの中国側の日本に対する「決めつけ」を考え直すべきだと思います。<
なぜ中国側に考え直すべき必要がある?其方こそではないか?<
戦後、日本はず〜っと「決め付けられ」たままだったんですよ。
それが事実の再検証で「見直されてきた。
これは国内より、海外のほうが早かった。
「中国の見解」がすべて「正しい」と妄信するなら、これ以上のお話は無駄でしょうね。
見直すつもりも無い、と言うのなら。
前にもちょっと言ったが、
「自省無き者の意見は軽んじられる」
事実は、
「戦争があった」
そして日本側には日本側の、中国側には中国側の事情と解釈がある。
善とか悪とかを断ずることはできない。
そこにしきりに「反省」や「賠償」を持ち出されることが「不快」であり「不当」だと、近年ようやく言えるようになった、ということ。
日本が悪と言いたいならそれでも良いが、その論拠やその根拠を見直し、真に国際的にはどのような見解か、また、自国に対してはどのような評価があるか、現在の政府の言動はどうか、などを、よく検証検討して主張されることを希望してます。
それぞれの各論は、かなり議論し尽くされてるんで、過去ログ見てください。
ワタクシもたま〜に見返しますが\xA1
これは メッセージ 18328 (jm_s1960 さん)への返信です.
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