>中華人民共和国の方へ・・・返答お礼
投稿者: bishamonten_2004 投稿日時: 2004/12/04 02:58 投稿番号: [17068 / 66577]
ihoujin1988さん(No.17037)、mou91116さん(No.17028)、どうも返答、ありがとうございました。
要旨をまとめると、
①胡錦涛は貧乏家庭出身者。つまり、中国国民は誰でも国家主席になることが出来る。
②ルートとしては、一流大学卒業→地方・市長・省長(地元の代表)→大臣・国務委員・常務委員→国家主席
ということですね。
胡錦涛 漢族 1942年12月生まれ 本籍:安徽省績渓
1959〜68年 清華大学水利工程学部で学ぶ。卒業後、大学に残り教員となる
68〜74年 劉家峡水力発電所勤務、水利電力部第4工程局813分局技術員、秘書、機関党総支部副書記
74〜82年 甘粛省建設委員会秘書、副処長、副主任、共産主義青年団(共青団)甘粛省委書記
82〜85年 共青団中央書記処書記、全国青年連合会主席、共青団中央第一書記
85〜88年 貴州省党委書記
88〜92年 チベット自治区党委書記
92〜2002年 中央政治局常務委員、中央書記処書記、中央党学校校長
98年〜 中華人民共和国副主席
99年〜 中央軍事委員会副主席
2002年11月〜 党総書記、中央政治局常務委員
仕事で実績を挙げて、且つ人望のある人間が偉くなる。それは、どの国・どの会社でも同じですねぇ。一方で、胡主席の場合には以下のような見方もあるようですけどね。飽くまで一面ですから、ネガティブキャンペーンという訳ではありません。
『胡錦涛の経歴をみると、中国共産党エリートとして順調に出世の階段を駈け上っていることは事実である。しかしその経歴の中で、たった一つ「戦い」を経験していることを忘れてはならない。チベット自治区党委員会書記だった1989年、ラサ暴動に遭遇。戒厳令を敷いて徹底的に弾圧した。それが胡の「勲章」となった。チベット自治区党委の任期明けの92年10月には、党中央政治局常務委員に「三段跳び」で昇格したことをみると、この勲章がいかに大きな意味を持ったかが分かる。
おそらく胡錦涛がラサ暴動に遭遇したのは、単なる偶然ではない。胡がチベットに派遣されたのは88年12月だったが、その年3月にも、ラサでチベット人デモと治安警官隊が衝突、少なくとも24人が死亡する事件があった。89年3月10日は、ダライ・ラマのチベット独立宣言に至ったラサ暴動の30周年にあたる。その対策要員として、胡が急きょ派遣されたと考える方が正しいだろう。当時、共産党幹部の人事をとり仕切っていたのはトウ小平だから、胡の力量・手腕を買ってチベットへ派遣したのだろう。その期待にみごとに応えたのである。
同じ89年、北京では4月22日の胡耀邦(元中国共産党総書記)追悼大会をきっかけに学生らの民主化要求運動が起こり、ついには6月4日、戒厳部隊が天安門広場を武力制圧する天安門事件となった。この鎮圧モデルの原型となったのが、ラサ暴動の戒厳令だったのである。こうしてみると、胡錦涛の勲章の大きさの理由が分かる。政治局常務委員入りを、トウ小平による抜擢とみる見方が強いが、それは「ひいき」に近い行為ではない。当然すぎるほど当然の抜擢だったのである。』
要旨をまとめると、
①胡錦涛は貧乏家庭出身者。つまり、中国国民は誰でも国家主席になることが出来る。
②ルートとしては、一流大学卒業→地方・市長・省長(地元の代表)→大臣・国務委員・常務委員→国家主席
ということですね。
胡錦涛 漢族 1942年12月生まれ 本籍:安徽省績渓
1959〜68年 清華大学水利工程学部で学ぶ。卒業後、大学に残り教員となる
68〜74年 劉家峡水力発電所勤務、水利電力部第4工程局813分局技術員、秘書、機関党総支部副書記
74〜82年 甘粛省建設委員会秘書、副処長、副主任、共産主義青年団(共青団)甘粛省委書記
82〜85年 共青団中央書記処書記、全国青年連合会主席、共青団中央第一書記
85〜88年 貴州省党委書記
88〜92年 チベット自治区党委書記
92〜2002年 中央政治局常務委員、中央書記処書記、中央党学校校長
98年〜 中華人民共和国副主席
99年〜 中央軍事委員会副主席
2002年11月〜 党総書記、中央政治局常務委員
仕事で実績を挙げて、且つ人望のある人間が偉くなる。それは、どの国・どの会社でも同じですねぇ。一方で、胡主席の場合には以下のような見方もあるようですけどね。飽くまで一面ですから、ネガティブキャンペーンという訳ではありません。
『胡錦涛の経歴をみると、中国共産党エリートとして順調に出世の階段を駈け上っていることは事実である。しかしその経歴の中で、たった一つ「戦い」を経験していることを忘れてはならない。チベット自治区党委員会書記だった1989年、ラサ暴動に遭遇。戒厳令を敷いて徹底的に弾圧した。それが胡の「勲章」となった。チベット自治区党委の任期明けの92年10月には、党中央政治局常務委員に「三段跳び」で昇格したことをみると、この勲章がいかに大きな意味を持ったかが分かる。
おそらく胡錦涛がラサ暴動に遭遇したのは、単なる偶然ではない。胡がチベットに派遣されたのは88年12月だったが、その年3月にも、ラサでチベット人デモと治安警官隊が衝突、少なくとも24人が死亡する事件があった。89年3月10日は、ダライ・ラマのチベット独立宣言に至ったラサ暴動の30周年にあたる。その対策要員として、胡が急きょ派遣されたと考える方が正しいだろう。当時、共産党幹部の人事をとり仕切っていたのはトウ小平だから、胡の力量・手腕を買ってチベットへ派遣したのだろう。その期待にみごとに応えたのである。
同じ89年、北京では4月22日の胡耀邦(元中国共産党総書記)追悼大会をきっかけに学生らの民主化要求運動が起こり、ついには6月4日、戒厳部隊が天安門広場を武力制圧する天安門事件となった。この鎮圧モデルの原型となったのが、ラサ暴動の戒厳令だったのである。こうしてみると、胡錦涛の勲章の大きさの理由が分かる。政治局常務委員入りを、トウ小平による抜擢とみる見方が強いが、それは「ひいき」に近い行為ではない。当然すぎるほど当然の抜擢だったのである。』
これは メッセージ 17028 (mou91116 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/17068.html