ゼロ戦について
投稿者: ihoujin1988 投稿日時: 2004/11/30 22:49 投稿番号: [16818 / 66577]
靖国神社にある「遊就館」(戦争展示館)の1階には、旧海軍の戦闘機が置かれている。三菱零式艦上戦闘機52型。いわゆるゼロ戦だ。ガラスの壁を通して外からもよく見える。
その説明にこうあった。
「初陣は昭和15年9月。中国重慶においてソ連製中国軍機との空中戦で、敵の大半を撃墜。味方に損害なしという空前の成果をあげ、その戦闘性能と航続力で世界最強を誇った」
ゼロ戦のデビューは1940年、重慶での空中戦だったのだ。
重慶。今夏、サッカー・アジアカップの試合で観客が日本チームにブーイングを浴びせ、日本人サポーターにゴミを投げつけたりして問題化したのは中国内陸部のこの都市だった。中国人の反日感情の噴出である。その一因が小泉首相の靖国参拝にあったのだとすれば、神社が誇らしげに展示するゼロ戦は何やら因縁じみて見えてくる。
この説明には書いてないが、ゼロ戦の「空前の成果」によって重慶の制空権を得た日本軍は、爆撃機からおびただしい量の爆弾を落とした。前年5月に本格化した重慶爆撃はこれを機に激しさを増していく。3年間で218回に及ぶ爆撃を市民は防空トンネルの中で耐えたが、都市は焼かれ、トンネルでの窒息なども加えると、死者は2万人前後に及んだとされる(前田哲男『戦略爆撃の思想』などから)。
重慶は国民政府の臨時首都だった。これを率いる蒋介石主席は戦後、共産党によって台湾に追われるが、このころ日本軍の侵略を「世界でもっとも野蛮」だと糾弾し強く抵抗していた。
市民への無差別攻撃の恐怖は、エドガー・スノーら米国人ジャーナリストが送り続けた怒りの記事や生々しい写真によって外国にも伝わった。米国は対日姿勢を硬化させ、やがて日本軍による真珠湾攻撃につながるのだが、そこで活躍したのもゼロ戦だった。
これは メッセージ 16815 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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