親切を殺人で返す中国人
投稿者: craz_countr_chin 投稿日時: 2004/10/12 23:02 投稿番号: [13714 / 66577]
外国人事件の実像:
/1 クリスマスプレゼントが生んだ悲劇
<暮らし・まち・安全のカルテ>
◆耳にこびりつく、夫の最期の悲鳴
◇「不法入国放置した政府にも怒り」
あの日以来、夫との思い出の詰まった街をさまよい歩くことが、隅子さん(75)の日課になった。行きつけの喫茶店でいつもの窓際の席に座ると、79歳で命を奪われた夫、剛さんとのさまざまな会話がよみがえる。
神奈川県横須賀市郊外の丘陵地に、一戸建て住宅が建ち並ぶ。正月休み最後の日曜だった03年1月5日午後10時50分、老夫婦2人暮らしの家に、勝手口の鍵をピッキングで破って3人の男が侵入した。年賀状の返事を書き終え、トイレに立った隅子さんは、男たちと廊下で鉢合わせした。殴られ、手足を縛られ、タオルを口に詰め込まれた。薄れる意識の中で、中国語の怒声にまじって、剛さんの悲鳴が聞こえた。
小一時間して意識が戻り、縛られたまま寝室に行くと、剛さんはベッドの上で冷たくなっていた。布団に顔を押し付けられ、鼻に付けていた酸素吸入用チューブも外れていた。肺気腫だった剛さん。窒息死だった。隅子さんもタオルを取ると、のどの奥から血があふれ出た。タンスから5万6000円と、剛さんから贈られたネックレスなど46点(時価141万円相当)がなくなっていた。
3カ月後、中国人の陳厚忠受刑者(54)と陳財福被告(42)が、強盗致死容疑で県警に逮捕された。もう1人の行方は分かっていない。事件の中心人物とされた厚忠受刑者を、隅子さんは知っていた。
剛さんは約40年間、川崎市内の小学校で教員生活を送った。オーストラリアの日本人学校の校長も務めた。退職後は留学生に日本の文化を教えたこともある。「人類は皆友達」が口癖だった。
02年夏から自宅脇でがけ崩れ防止の工事が始まった。中国人の作業員も数人いた。夫妻はお茶やミカンを度々差し入れた。お返しに、中国人たちは隅子さんの買い物袋を運んだり、ごみ出しを手伝ってくれた。その中に、厚忠受刑者がいた。
クリスマスイブも中国人は働いていた。剛さんの発案で、のし袋に2000円を包み、一人一人にプレゼントした。隅子さんは「あの厚忠がうれしそうに受け取った顔をはっきりと覚えている」と話す。しかし厚忠受刑者の笑みには、別の意味があった。「この家は金持ちだ」。この時、強盗に入る標的が決まった。
厚忠受刑者は、妻と子供4人を残して99年5月、偽造パスポートで入国した。中国に家を建てることが夢で、建設現場を渡り歩いた。しかし、不法入国の際の借金300万円が重くのしかかり、異国で1人暮らす寂しさもつのった。中国人が集うマージャン店で賭博にのめりこむ。中国人店長から20万円を借りたころから、妻子への送金も途絶えた。返済を迫られる借金。強盗を決意した。
財福被告は99年11月、ブローカーに約130万円払い、密航船で入国した。同郷の厚忠受刑者から02年のクリスマスイブの後、強盗計画に引き込まれた。「事件の日は酒を飲んで気が大きくなった」。今は亡父と剛さんの姿が重なり、眠れぬ日々が続いているという。
横浜地裁横須賀支部の1審公判廷。厚忠受刑者は「少ししか金が手に入らず、やらなければよかった」と言った。被害者への思いは、聞かれなかった。しかし、弁護人は言う。「中国語の読み書きもできない。謝罪の思いがあっても、言葉でうまく表現できなかった」
2人は無期懲役を不服として控訴。今年7月、東京高裁は2人の控訴を棄却した。財福被告は上告したが、厚忠受刑者は上告せず刑が確定した。
好意のクリスマスプレゼントが、悲劇を生んだ。言葉の壁から、加害者と被害者の心もすれ違ったままだ。そのことが、さらに被害者を傷つける。
公判を傍聴して、2人が貧しく苦労を重ねてきたことを隅子さんは知った。「かわいそう」と言った後、しばらく言葉を探すかのようにうつむいた。そして言った。「だけど、あの人たちを憎みます。不法入国の中国人を放置する日本の政府にも怒りを感じます」
剛さんの最期の悲鳴が、今も耳にこびりついて離れない。
毎日新聞 2004年10月11日
/1 クリスマスプレゼントが生んだ悲劇
<暮らし・まち・安全のカルテ>
◆耳にこびりつく、夫の最期の悲鳴
◇「不法入国放置した政府にも怒り」
あの日以来、夫との思い出の詰まった街をさまよい歩くことが、隅子さん(75)の日課になった。行きつけの喫茶店でいつもの窓際の席に座ると、79歳で命を奪われた夫、剛さんとのさまざまな会話がよみがえる。
神奈川県横須賀市郊外の丘陵地に、一戸建て住宅が建ち並ぶ。正月休み最後の日曜だった03年1月5日午後10時50分、老夫婦2人暮らしの家に、勝手口の鍵をピッキングで破って3人の男が侵入した。年賀状の返事を書き終え、トイレに立った隅子さんは、男たちと廊下で鉢合わせした。殴られ、手足を縛られ、タオルを口に詰め込まれた。薄れる意識の中で、中国語の怒声にまじって、剛さんの悲鳴が聞こえた。
小一時間して意識が戻り、縛られたまま寝室に行くと、剛さんはベッドの上で冷たくなっていた。布団に顔を押し付けられ、鼻に付けていた酸素吸入用チューブも外れていた。肺気腫だった剛さん。窒息死だった。隅子さんもタオルを取ると、のどの奥から血があふれ出た。タンスから5万6000円と、剛さんから贈られたネックレスなど46点(時価141万円相当)がなくなっていた。
3カ月後、中国人の陳厚忠受刑者(54)と陳財福被告(42)が、強盗致死容疑で県警に逮捕された。もう1人の行方は分かっていない。事件の中心人物とされた厚忠受刑者を、隅子さんは知っていた。
剛さんは約40年間、川崎市内の小学校で教員生活を送った。オーストラリアの日本人学校の校長も務めた。退職後は留学生に日本の文化を教えたこともある。「人類は皆友達」が口癖だった。
02年夏から自宅脇でがけ崩れ防止の工事が始まった。中国人の作業員も数人いた。夫妻はお茶やミカンを度々差し入れた。お返しに、中国人たちは隅子さんの買い物袋を運んだり、ごみ出しを手伝ってくれた。その中に、厚忠受刑者がいた。
クリスマスイブも中国人は働いていた。剛さんの発案で、のし袋に2000円を包み、一人一人にプレゼントした。隅子さんは「あの厚忠がうれしそうに受け取った顔をはっきりと覚えている」と話す。しかし厚忠受刑者の笑みには、別の意味があった。「この家は金持ちだ」。この時、強盗に入る標的が決まった。
厚忠受刑者は、妻と子供4人を残して99年5月、偽造パスポートで入国した。中国に家を建てることが夢で、建設現場を渡り歩いた。しかし、不法入国の際の借金300万円が重くのしかかり、異国で1人暮らす寂しさもつのった。中国人が集うマージャン店で賭博にのめりこむ。中国人店長から20万円を借りたころから、妻子への送金も途絶えた。返済を迫られる借金。強盗を決意した。
財福被告は99年11月、ブローカーに約130万円払い、密航船で入国した。同郷の厚忠受刑者から02年のクリスマスイブの後、強盗計画に引き込まれた。「事件の日は酒を飲んで気が大きくなった」。今は亡父と剛さんの姿が重なり、眠れぬ日々が続いているという。
横浜地裁横須賀支部の1審公判廷。厚忠受刑者は「少ししか金が手に入らず、やらなければよかった」と言った。被害者への思いは、聞かれなかった。しかし、弁護人は言う。「中国語の読み書きもできない。謝罪の思いがあっても、言葉でうまく表現できなかった」
2人は無期懲役を不服として控訴。今年7月、東京高裁は2人の控訴を棄却した。財福被告は上告したが、厚忠受刑者は上告せず刑が確定した。
好意のクリスマスプレゼントが、悲劇を生んだ。言葉の壁から、加害者と被害者の心もすれ違ったままだ。そのことが、さらに被害者を傷つける。
公判を傍聴して、2人が貧しく苦労を重ねてきたことを隅子さんは知った。「かわいそう」と言った後、しばらく言葉を探すかのようにうつむいた。そして言った。「だけど、あの人たちを憎みます。不法入国の中国人を放置する日本の政府にも怒りを感じます」
剛さんの最期の悲鳴が、今も耳にこびりついて離れない。
毎日新聞 2004年10月11日
これは メッセージ 13596 (craz_countr_chin さん)への返信です.
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