中国

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中国人もびっくり!

投稿者: yakuzakunuk 投稿日時: 2004/10/09 15:48 投稿番号: [13477 / 66577]
>資本主義精神の塊が中国人だろ。
>華商というのを知らんのか?
資本主義の精神とは、"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"というように、プロテスタンティズムと対で使われる。中国人とプロテスタンティズムというのは無理がある。春秋戦国の中国では、類似したものがあったかもしれない。司馬遷の貨殖列伝を読むと感じられるが、その後は廃れたようだ。

華商とプロテスタンティズムがピンとくる人はいないだろう。ウエーバーは、

"資本主義精神の塊が中国人"

なんて言っていない。牽強付会、捏造の典型だ。

>当時の中国は秦(清)帝国と言うよりは、
>軍閥支配の乱世中国大陸と言うべきだ。

清のつもりだったか、ますます酷いな。秦のほうがまだマシだぞ。

北清事変については、まずはこれを見てみなさい。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1900a.htm

>1898年から1899年にかけて山東省で起こった義和団の乱は、民衆の不満を
>背景に団員を増やし、1900年には天津・北京へと向かった。北京での団員
>は20万人にのぼったという。義和団は「扶清滅洋」(清をたすけ西洋を
>滅ぼす)をスローガンとし、保守排外的な傾向に傾いていた西太后の清朝
>政府はこの運動を支援し、官軍も行動をともにするようになった。
>・・・・・・・・   略   ・・・・・・・・・
>   清朝政府が列国に対して宣戦を布告するにいたると、8か国(日本・ド
>イツ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・オーストリア)
>の連合軍約2万が北京に向かい外国人とキリスト教徒の救援を行った。
>・・・・・・・・   略   ・・・・・・・・・
>   西太后と光緒帝は、北京陥落の翌日未明に、農民の姿で古馬車に乗り西安
>へ向かったが、その途中で列国と和を結ぶことを決めた。

”清朝政府が列国に対して宣戦を布告”とある。清帝国は、明確に存在している。都合が悪くなると、"軍閥支配の乱世中国大陸"と誤魔化すのか。こういうのを無責任という。

あんたみたいな人が、中国の評判をますます悪くする。
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