中国人は自尊自大
投稿者: nakiwryo 投稿日時: 2004/10/01 20:18 投稿番号: [12902 / 66577]
中国は列強に敗戦を余儀なくされた後も、依然として「中華文明こそ天下第一」という認識に何の疑問も持たなかった。欧米による侵略を「息子の父親に対する反抗」と見なし、自分を慰めていた。中国の改良派にしても、中国が西欧に敗れた原因を西欧の「堅船利砲」(強大な軍艦と強力な艦載砲)に求め、中華文明自身が西欧より立ち遅れていたということを認めようとしなかった。逆に、日本人は外圧に屈した後、なぜ欧米の人々が「堅船利砲」を作り出せるのか、と真剣に考えた。
昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。欧米列強の侵略を受けると、かつて野蛮人に思われた欧米人こそが、真に文明を持つ人々であり、自分自身が、まだ開化を果していない野蛮人であると、日本人は悟ったのである。その後、日本では、「脱亜入欧」運動が展開された。それによると、中国、朝鮮などの東アジア諸国はまだ開化していない野蛮な国家であり、こうした野蛮国と一緒にいると、いずれだめになってしまう。文明国となるには、日本がこうした東アジアの「悪友」とは決別し、欧米の「良い友」と誠心誠意に接しなければならず、日本人を黄色の皮と、白い中身を持つバナナのような、白人の魂を持つアジア人に改造しなければならないと考えたのである。
1871年、日本は大蔵卿大久保利通や工部大輔伊藤博文をはじめとする百人余りの視察団(岩倉使節団)を欧米に派遣し、22ヶ月に渡って、欧米各国の政府制度、司法機構、教育体制などの詳細な調査研究を行った。日本使節団は当時の列強の元首と相次いで面会を持った。とりわけ、プロイセン(ドイツ)のビスマルク大統領は、日本の代表団を宴会に招待し、その席で弱小国家であるプロイセンが新興強国になる経験を披露した。その話を聞いた日本人達は、「富国強兵の秘密はこれか」と驚きを抑えずに感嘆した。その後、日本がドイツをモデルにし、軍国主義の道を歩む建国方針を確定した。これは後に日本が対外侵略に走る遠因ともなった。
1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。なぜなら、当時の日本はすでに「脱亜入欧」を決意し、中国のような後進国との連盟を望まなくなっていたのである。日本が1894-95年の甲午(日清)戦争で中国を、さらに1904-1905年の日露戦争でロシアを相次いで破り、「脱亜入欧」という抜本的な構造改革の正しさを証明した。1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。
中国はいまだに立ち後れ、貧困から抜け出すことができていない。その最も重要な原因は、自尊自大な国民性にある。中国人はいつも自分の長所ばかりを強調し、逆に他人の欠点を過大視する傾向がある。欧米に学ぼうという話になると、多くの中国人は、中国には中国なりの長所があり、欧米には欧米の短所があると、自己弁護を行う。中国人は欧米の科学技術の面における優位性は何とか認めるが、欧米文明の中華文明に対する優位性は決して認めようとしないのである。日本人が二回もノーベル文学賞を獲得したのに対して、中国人はいまだに獲得したことがない。中国人はこうした現象を中国現代文学が日本のそれより劣っているためではなく、むしろノーベル賞の評価のあり方に問題があると理解している。
中国人の自尊自大の態度は、日本のように他国の経験を謙虚に学ぶことを妨げている。これまで、中国人がそう遠くない将来、日本を追い越す夢を何度も見たが、それを現実にすることはできていない。
昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。欧米列強の侵略を受けると、かつて野蛮人に思われた欧米人こそが、真に文明を持つ人々であり、自分自身が、まだ開化を果していない野蛮人であると、日本人は悟ったのである。その後、日本では、「脱亜入欧」運動が展開された。それによると、中国、朝鮮などの東アジア諸国はまだ開化していない野蛮な国家であり、こうした野蛮国と一緒にいると、いずれだめになってしまう。文明国となるには、日本がこうした東アジアの「悪友」とは決別し、欧米の「良い友」と誠心誠意に接しなければならず、日本人を黄色の皮と、白い中身を持つバナナのような、白人の魂を持つアジア人に改造しなければならないと考えたのである。
1871年、日本は大蔵卿大久保利通や工部大輔伊藤博文をはじめとする百人余りの視察団(岩倉使節団)を欧米に派遣し、22ヶ月に渡って、欧米各国の政府制度、司法機構、教育体制などの詳細な調査研究を行った。日本使節団は当時の列強の元首と相次いで面会を持った。とりわけ、プロイセン(ドイツ)のビスマルク大統領は、日本の代表団を宴会に招待し、その席で弱小国家であるプロイセンが新興強国になる経験を披露した。その話を聞いた日本人達は、「富国強兵の秘密はこれか」と驚きを抑えずに感嘆した。その後、日本がドイツをモデルにし、軍国主義の道を歩む建国方針を確定した。これは後に日本が対外侵略に走る遠因ともなった。
1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。なぜなら、当時の日本はすでに「脱亜入欧」を決意し、中国のような後進国との連盟を望まなくなっていたのである。日本が1894-95年の甲午(日清)戦争で中国を、さらに1904-1905年の日露戦争でロシアを相次いで破り、「脱亜入欧」という抜本的な構造改革の正しさを証明した。1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。
中国はいまだに立ち後れ、貧困から抜け出すことができていない。その最も重要な原因は、自尊自大な国民性にある。中国人はいつも自分の長所ばかりを強調し、逆に他人の欠点を過大視する傾向がある。欧米に学ぼうという話になると、多くの中国人は、中国には中国なりの長所があり、欧米には欧米の短所があると、自己弁護を行う。中国人は欧米の科学技術の面における優位性は何とか認めるが、欧米文明の中華文明に対する優位性は決して認めようとしないのである。日本人が二回もノーベル文学賞を獲得したのに対して、中国人はいまだに獲得したことがない。中国人はこうした現象を中国現代文学が日本のそれより劣っているためではなく、むしろノーベル賞の評価のあり方に問題があると理解している。
中国人の自尊自大の態度は、日本のように他国の経験を謙虚に学ぶことを妨げている。これまで、中国人がそう遠くない将来、日本を追い越す夢を何度も見たが、それを現実にすることはできていない。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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