>金門にかける橋
投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2005/05/08 09:39 投稿番号: [9012 / 16409]
あいや!!
「おたく」にも上には上がいるもんだ。
片倉佳史氏(台湾特捜百貨店主人)も尻尾を巻いて逃げ出す。
ところで、台湾史研究方面の話ですが、この中に「台大医院」があり、日本時代の「台北『医』院」との注釈がついています。
日本赤十字「病」院も、台湾に限っては赤十字「医」院だったと了解しているのですが、如何でしょうか。
<補足>
1.明治38年2月、発足時点では日本赤十字社台湾支部「病」院だったが、程なくして「医」院に改称している模様。これは「病」の字が台湾人に忌まれた為ではないか?
注:この辺りについては、日本赤十字社に問い合わせているが、台湾関係資料が少ないらしく、回答が得られていない。
2.一方、在台「内地人」は正式呼称にかかわらず、「病」院と呼んでいる場合が多かった。例えば、
*台北病院
*赤十字病院
*馬偕病院(80年代でも、我々はそう呼んでいた。)
*鉄道病院(これは正式呼称未確認。)
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この辺りについて、運好御老体、矢部老師の御証言を賜りたく。
PS:明治時代の台北赤十字病院看護婦写真数枚入手したので確認しておきたい次第です。なお、写真には何の説明も記載されていない。
これは メッセージ 9011 (aki_fumika さん)への返信です.
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