>>「チャンピイ」
投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2005/04/28 21:00 投稿番号: [8768 / 16409]
228の時は、現場で「闇から闇」に葬られた人々を除き、市中引き回し、公開処刑、遺骸は当分の間「晒し者」。
例えば、嘉義駅前や台南の湯徳章弁護士(*)。
遺族の一部は、遺体を収容した後、自宅に寝かせて「記念写真撮影」をしています。怨みを含んだまま、「成仏」出来ない夫のことを忘れない為に(悲惨の極み)。
「民主化」後、このような写真や処刑のときに着ていた血染めのシャツなどが続々と表に出てきました(その一部は二二八紀念館に展示)。
*湯弁護士は、日本人の父と台湾人の母の間に生れた混血児。「光復」後、台湾人として生きていくことを選択。70年代、台北でも「228の時、台南の公園で『日本人』が公開処刑された・・・と言う「噂」が口コミでひそひそと伝承されていました。
これは メッセージ 8756 (cakerun999 さん)への返信です.
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