1980年半ばは災難つずきでした。
投稿者: suzuteri2515 投稿日時: 2005/02/18 00:46 投稿番号: [7642 / 16409]
aki fumika様:
紅南事件の後南CA.の中華系新聞は蒋介石と蒋経国の批判が続出しました。
とたんに台湾青年が愛人が美国にいった挙句にここで愛人ができて、それを懲らしめに台湾から飛んできて、こともあろうか、結婚式の衣装の相談現場で刺殺しました。
その後、中華系新聞社長の母親が台湾に帰り、出国できなくて困りました。この新聞社の編集記事で台湾政府批判が頻繁でしたので、反感を買いました。2ヶ月後に出国してきました。民主化がすすんできたのは在米台湾人の運動が直に議会に働きかけて政治的圧迫をかけるか、立法化を援助しました。台湾関係法は多分にかれらの産物です。
昨年の総統選には美国から2万人が台湾に飛びまして、投票しました。二重国籍を認める台湾政府ですから。ところが日系人(日本国籍)はここの現地で日本議員の投票できます。何故か、台湾人はこれができません。不思議です。陳総統が二万票弱で勝ちましたので、ここからの二万票は値打ちがあります。
兎も角、台湾の政治的な動きはここと連動しています。
その後、バブルがはじけた当時、オックスナードで日本からの不動産屋が事務所の中で(高層建築ビル)日本からの刺客に殺されました。バブルのはじけで借金の夜逃げをして隠れていた不動産やと聞きます。物騒な80年代後半でした。戦時中シンガポールでnight clubsの経営で幅を利かせた日本人街ボスが戦後香港で事業を成功していると公に面接をした本が出ました。でも当時(戦後すぐでは)彼は部下の浪人と英国官憲に追い詰められて銃殺に会ったと当時は報道されていました。亡霊でもあるまいが今頃香港で出たのとは驚きです。東南アジアの話は際物が多いですが。戦後はまだつずきます。
これは メッセージ 7636 (aki_fumika さん)への返信です.
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