少し解説
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2004/07/27 20:28 投稿番号: [3506 / 16409]
Mitaさんのお話にあった「日本政府早在民国六年時、就厳令禁唱台湾歌曲」の部分ですが、民国6年=1917年。
日本が台湾を殖民地として支配し始めた、いわば、初期の時期ですね。この時期、台湾人の抗日運動というものが台湾にありました。日本も、かなり強硬な手段に打って出たようです。
学校では、1912年頃に、日本語教育の場に於いての母語の使用禁止、というものがあります。ただ、日本語教育の場、という限定的な場所(学校)でのお話ですね。
(ここあたりについては、「台日大辞典」についてきた、オリジナルの辞書にはない、後付の解説に詳しくありました)
その後、植民地支配が安定してくると(植民地支配中期)、「台日新辞書」に書かれてあるように、日本人に台湾語の習得を奨励するような時期もあったわけです(昭和6年前後ですから、1931年頃)。
で、「雨夜花」は伝唱年代が1933年。ちょうど、この時期、1932年から35年あたりが、台湾歌曲(歌謡)の黄金時代、最盛期にあたるわけです。
その後、大陸での日本軍の暴挙により、日本や台湾では、軍事色が濃くなり(植民地支配後期)、軍歌に染められていくわけですが。。。これについては、「雨夜花」についての台湾のサイト、HPに詳しく事情が載っております。
ですから、時系列で考えていくと、「雨夜花」が、日本の統治下での台湾人の哀切たる情を歌っている、というような解釈は、むつかしい、ということになります。
かなり後になり、そうした辛い時代になって、そうした心情で歌った人はいるかもしれませんが、それは時系列からして、後にくること、ですね。。。
ここあたりは、私ではなく、Yabe老師がお詳しいので、私に間違いがあれば、即訂正され、きつーいお叱りをいただくこととなりますが。。。
これは メッセージ 3505 (aki_fumika さん)への返信です.
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